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アートを題材にしたアート映画『ベルベット・バズソー』

ベルベット・バズソー

 

 

Spoiler Warning——ネタバレを含みます

 

アートを描いたアート映画

 

『ベルベット・バズソー』は、『ナイトクローラー』のダン・ギルロイ監督とジェイク・ギレンホールが再びタッグを組んだホラー映画だ。己の中に巣食う狂気に蝕まれていくフリーカメラマンを描き、カルト的な成功を収めた前作。本作『ベルベット・バズソー』では、アート業界を題材にプリミティブな恐怖を描いている。

 

動物的・生理的な恐怖心にフォーカスした「ホラー映画」は、数ある映画ジャンルの中で最も純粋な形式だ。「観る者を戦慄させる」という1点にフォーカスすることで、その他一切の余剰を削ぎ落とす。展開するドラマによるカタルシスや、錯綜するプロットによるサスペンス。他の映画ジャンルでは必須の諸要素を容赦なく削ることで、「恐怖心」という本質がより際立つ。これは、作品の本質を凝縮し、その外縁を削るミニマルで洗練されたモダンなアート作品と同じ性質でもある。

 

つまり、『ベルベット・バズソー』はモダン・アートを材にとった「アート映画」なのだ。

 

美しくデザインされた恐怖

 

リドリー・スコットが立ち上げた製作会社『スコット・フリー・プロダクション』のロゴアニメーションのような、水彩画タッチのアニメーションが観客をアートの世界へと誘い込む。『ベルベット・バズソー』は芸術的な映画だ。監督のダン・ギルロイは、持ち味の尖った感性を遺憾なく発揮して作品の中にアーティスティックな要素を散りばめた

 

『ナイトクローラー』は、宵闇のロスアンゼルスを美しい映像で切り取ってみせた。その映像美は本作でも健在で、時たまインサートされるロスアンゼルスの夜景のロングショットは、観客を緊張から開放するダレ場の役割を果たしている。ジョセフィーナがヴェトリル・ディーズの部屋に侵入して彼の作品を眺めるシーンでは、黒曜石のようにダークでシックな映像が徐々に高まる恐怖心に美しさを添えている。

 

日がな一日AirPodsをつけているメンテナンス担当のブライソンが、ガソリンスタンドで絵の中に引きずり込まれるシーンなど、恐怖心よりも映像美が勝って息を呑むほどだ。このシーンでも使われている絵画を動かすためのVFXは、いかにも自然に、何の違和感もなく現実世界と絵画の世界を溶け合わせる。ディーズの絵画が動くさまは、まるでドラッグ常習者が見る幻覚のごとく自然に振る舞う。

 

『ベルベット・バズソー』では、作中のいたるところに”美”が溢れている。グレッチェンのオフィスは洗練されたミニマルなポスターが壁に掛かっているし、画商DONDONのオフィスは空間自体が1つの芸術作品のような美しさを帯びている。また、オープニングシーンにも登場するホームレスのロボットは、退廃的な美しさをたたえている。

 

愛猫家の私としては、ロドラ・ヘイズの飼っている無毛の猫が気になって仕方なかった。この猫はスフィンクスという突然変異種で、身体の表面を桃のような産毛が覆っている。余分な毛を削ぎ落とし、四肢のラインを際立たせたスフィンクスには、アート作品のような透徹した美しさがある。

 

モーフの手がジョセフィーヌの大腿部からデルタ地帯へと向かう場面では、飛行機のエンジン音が去来してブラックアウトする————なんとクリエイティブな演出だろうか。このような音のモンタージュは、列車の通過する金属音が使われた『ゴッド・ファーザー』のダイニングシーンが有名だ。

 

作中に登場する芸術作品————穴の空いた球体『スフィア』と音が編み出す不思議な世界『ミスティート』   両作品のコンセプトとデザインの完成度の高さは、映画の中の小道具ということを忘れるほどに美しい。四方から響き渡る音の作品『ミスティート』は、フランスの芸術家クリスチャン・ボルタンスキーの作品『心臓音のアーカイブ』を彷彿とさせる。

 

アルコール依存症の天才芸術家ピアースのアトリエは、シリコンバレーのテック系オフィスのごとくクリエイティブな空間だ。高い天井に空いた天窓からは太陽が顔を覗かせ、広大なフローリングを優しく照らしている。物流倉庫のようなだだっ広い空間の真ん中には、バスケットリングが佇んでいる。傍らにはバスケットボールが無造作に転がっていて、その向かい側にピアースのキャンバスは据えられている。

 

一見すると無軌道にも思えるシンプルな線を、何度も何度も描き直す。描いては消し、また描いては消す————この繰り返しの中から、人を魅了する芸術作品が生み出される。エンドロールで、脇目も振らずに砂浜へ線を描き続けるピアースの姿は、創作の壁を打ち破ろうとする芸術家の孤独な闘いを伝えている。

 

作中の登場人物たちが身につけている衣服もまた、『ベルベット・バズソー』を美しいホラー映画へと昇華させる重要な要素だ。主人公のモーフはノーネクタイのジャケットスタイルに、白のスニーカーを合わせている。何のためらいもなく留められた第一ボタンは、モーフという人物にどこか浮世離れした印象を与えている。やや大きめの黒縁メガネは、思弁的な彼にぴったりのアイテムだ。

 

ネットフリックスのオリジナルドラマ『ストレンジャー・シングス』で一躍有名になったナタリア・ダイアー演ずるココの眼鏡は、大人しい雰囲気にアクセントを添えている。中盤で無残にも絞殺されるDONDONの社長は、ネイビーのジャケット、オレンジ色が主体のスカーフ、丸メガネ、足首が見える短い丈のパンツ、というヒップスター然とした服装だ。ロドラ・ヘイズは曲線と直線のないまぜになったデザインの服装だし、彼女のオフィスで働くスタッフ達も洗練されていてファッショナブルだ。

 

『ベルベット・バズソー』では、作中に登場するすべての要素が”美”にしたがってデザインされている。アートを題材にするためには、作品自体を美しく仕上げなければならない。本作でダン・ギルロイ監督は、ストイックにモダンな美しさを追求している。そして、その精美な世界で次々と起こる怪現象は恐ろしいだけでなく、引き込まれるような魅力を備えている————ヴェトリル・ディーズの絵画のように。

 

魅力的なキャラクターたち

 

ジェイグ・ギレンホール演じるモーフは多感な主人公だ。部屋に入った瞬間、天井の高さと椅子の低さのコントラストに気がつくほど敏感な感性を持っている。だから、知人の葬儀に参列した際にも、棺桶の色が気になってしまう。

 

スモッグオレンジ?なんてひどい色だ。
考えてもみなよ、一生あの中で過ごすんだよ?

 

モーフにとって感性は生きる術だ。美術批評の際には、鋭敏な感性で捉えたニュアンスを言葉に置き換える。昆虫が触覚によって外界の様子を探るように、モーフは自身の感性によって世界を捉えようとする

 

選ぶのが僕の仕事だ。
感性を捨てて事実のみを言えと?

 

展示会で美術品をつぶさに見つめるモーフの仕草————腕を組みながら眉根を寄せて、眼鏡のフレームを触る様子はいかにも繊細な人物という印象を与える。そんな繊細な感性が、ヴェトリル・ディーズの絵画へと向けられた時、どす黒い何かが彼を捕捉する。幻覚と幻聴によって私生活は脅かされ、相次ぐ知人たちの死を目の当たりにして精神は悲鳴をあげる。ジョセフィーヌとベットを共にしていても、幻覚が彼の意識を苛んで離さない。

 

精神の崩壊寸前に達したクライマックスで、ディーズの絵画を処分するよう懸命に訴えるモーフの目は狂気の色に染まっている。今にも人を殺しかねない、病的な目をしたジェイク・ギレンホールは『ナイトクローラー』に勝るとも劣らない迫真の演技をみせる。『ナイトクローラー』で勢い余って鏡を割ったジェイク・ギレンホールは、本作でも健在だった。

 

本作のマクガフィンであるヴェトリル・ディーズのキャラクター造形も非常に魅力的だ。幼少より父親から虐待を受けて育ったディーズは軍を除隊した後、精神に支障をきたし、復讐として父親を引きずり回して焼き殺した。退役軍人病院で明かされる彼の経歴は、スティーブン・キングの短編小説のようにブルータルでクレイジーだ。

 

心に巣食う狂気をすべて吐き出すかのように、ディーズは俗世間との繋がりを断って作品を描き続けた。自らの血液を使って描かれた彼の作品は、そこはかとない妖艶な魅力を放っている。ディーズの絵画が人を殺める時、まずキャンバスの中の人物が目を動かし、次いで血が流れ、そして燃え上がる————まるで、彼の狂気がキャンバスを突き破るかのごとく、確固たる意志を持って人々を殺すのだ。

 

誰がための芸術か?

アートとは何だろうか。強引に言い切ってしまえば「きれいなもの」と定義できるのだろうが、「きれいだ」と感じる感性は人それぞれ異なる。どの点に美しさを見出すか、何をもって綺麗だと感じるかは明確な基準があるわけではない。その人個人の感性がすべてだからだ。

 

ストーリーテリングの巨匠にして、世界一の商業監督スティーブン・スピルバーグも言っている————観客をどこで笑わせたり泣かせたりするのか、そのタイミングはある程度制御できるが、面白いと感じるタイミングまでは制御できないのだと。

 

人はみな違ったバックボーンを持っているし、考え方も興味の対象も一人として同じ人はいない。10人集めて1つのアート作品を見せれば、それぞれが違う感じ方をするだろうし、フォーカスする視点も異なるだろう。だからこそ、芸術の価値は定価で線引きできないし、思いもよらぬ作品に法外な値段がつくこともままあるのだ。

 

芸術家たちは持てるエネルギーをすべて作品に注入する。インスピレーションが沸き起こった瞬間、脇目も振らずに作品づくりに没頭する。何度も作り直し納得のいく形を追い求める。それは孤独な闘いである。他に助けを求めても、作品の完成形は芸術家の頭の中にしかないのだから、自分でやり遂げるほかない。こうして心血を注いだ作品だからこそ、それに見合った値段がつけられるのだ。

 

だが、アートには商業的な面もある。芸術家は生業として作品を製作する以上、それをマネタイズせねばならない。そんな芸術のビジネス的な側面を描いたのが、本作『ベルベット・バズソー』だ。欲に目がくらんだジョセフィーヌ達は、ヴェトリル・ディーズの遺言を無視して彼の作品を大々的に売り出す。そして、彼の遺志を度外視した専横な振る舞いは、怪現象としてモーフたちに返ってくるのだ。

 

アートは巨大なビジネスでもあるが、その本質は「芸術という表現の一形態」だ。アマチュアの作品とプロの作品が決定的に異なるのは、作家性と商業性のバランスが取れているからだ。

 

真価を見極められる審美眼を持たない者にとっては、数ドルの価値しかないディーズの作品は、莫大な資産を持て余すスノッブたちにとっては数万ドルもの価値を持つ。いつかネットの記事で見たエピソードを思い出す————ある有名なバイオリニストがニューヨークの地下鉄で1日だけ演奏したそうだが、行き交う人々は誰ひとりとして気が付かなかったらしい。多くの人にとって芸術とは、こんな程度のものなのかもしれない。自分の感性に従ってその真価を判断するのではなく、世間や批評家の評価に基づいて価値を決める。だからこそ、グレッチェンのようなアート・アドバイザーが必要なのだろう。


作中に何枚も登場するヴェトリル・ディーズの絵は誰が描いたのだろうか?エンドクレジットを見る限り、プロダクションチームの中に画家が数人いるようだが、ネットで調べても詳細は分からなかった。あのグロテスクだが美しい絵画、個人的にはかなり好きな部類に入るので販売していたら欲しいのだけれど……

 

芸術は死を伴う
1983    ロドラ・ヘイズのタトゥーに刻まれた一文

 

おすすめ度 

 

作品情報

原題:Velvet Buzzsaw

監督:ダン・ギルロイ 『ナイトクローラー』

脚本:ダン・ギルロイ

撮影監督:ロバート・エルスウィット 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『パンチドランク・ラブ』

 

音楽: バック・サンダース マルコ・ベルトラミ 『スノーピアサー』『LOGAN/ローガン』

編集:ジョン・ギルロイ

製作会社:ネットフリックス ディース・ピクチャーズ

配給会社:ネットフリックス

 

上映時間:113分

制作費:21億円………*1

Imdbスコア:5.5………*2

Rotten Tomatoスコア:66………*3

公式サイト:ベルベット・バズソー:血塗られたギャラリー