Hush-Hush: Magazine

映画の批評・感想を綴る大衆紙

運び屋:史上最高にカッコいいおじいちゃん、クリント・イーストウッド

運び屋 映画

 

あらすじ

仕事ひとすじでデイリリーを愛でる御年90歳のアール・ストーン(クリント・イーストウッド)。時代の波に乗り損なって稼業は右肩下がりになり、家まで差し押さえられる始末。そんな窮地に頼る家族とはほぼ絶縁状態で、孫娘の結婚式に持っていくお金も無い。そんなところへうまい話が転がり込んでくる————車の運転をすればお金が入る。だが、うまい話には裏がある。車で運ぶのはメキシコの麻薬カルテルの商品、大量のドラッグだった。そんな折、DEA(麻薬取締局)の捜査官コリン(ブラッドリー・クーパー)が捜査を進めていた……

 

私の映画人生に最も影響を与えた人物は2人いる。1人は敬愛してやまないクリストファー・ノーラン監督。そして、もうひとりはクリント・イーストウッド監督だ。そもそも、私が洋画の虜になったきっかけを与えてくれたのがイーストウッドだった。一番好きな俳優は? と訊かれたら、真っ先にイーストウッド監督の名をあげるくらい、私にとっては永遠のスーパーヒーローなのだ。

 

少年時代の大晦日、テレビで放映していた『シークレット・サービス』を観たときから、私の映画人生は始まった。どのシーンをとっても様になる、いかにもタフガイな容姿。どの角度から見ても画面ばえのする男らしい顔つき。いつも疲労の色を顔に浮かべて、「Goddamnit!(くそったれ!)」みたいな小言を言いながらも悪党をやっつける。画面からにじみ出る渋さに圧倒された————なんてカッコいいんだろう。目をキラキラと輝かせながら、大掃除そっちのけでテレビに釘付けになった。

 

周りの友人がAKBに熱を上げていた頃に、私はイーストウッドに夢中だった。『荒野の用心棒』などの、いわゆるドル箱3部作をはじめ、『ダーティ・ハリー』シリーズや『アウトロー』、『シティヒート』、『センチメンタル・アドベンチャー』など、イーストウッドが出演している作品を片っ端から観ていった。当時まだ10代だったにも関わらず、「こういう齢の重ね方をしたいもんだ」などと呑気なことを考えていた。

 

いまだに落ち込んだときは『ダーティ・ハリー4』を観て勇気をもらっているし、怖気づきそうになったときは頭の中にイーストウッドを思い浮かべる。それくらい、私にとってクリント・イーストウッドは完全無欠にして唯一無二のスーパーヒーローなのだ。たとえ、本作『運び屋』で90歳のおじいちゃんを演じようとも、そのカッコ良さは微塵も揺らがない。クリント・イーストウッドがスクリーンで見られる————たったそれだけの理由でも、『運び屋』は観る価値がある

 

華々しいアクションシーンなんて期待しちゃいけない。銃による安易なドンパチなど無くとも、イーストウッドの貫禄だけで十分に見応えのある映画になるのだから。もはや演じることなく醸し出すことのできる、銀幕の大スターならではの鷹揚とした構え。そして、スクリーンから滲み出てくる貫禄と余裕。かつてないほどに渋くてカッコ良いクリント・イーストウッドがスクリーンに帰ってきたのだ。

 

Spoiler Warning——ネタバレを含みます

 

史上最高にカッコいい おじいちゃん、イーストウッド

 

『運び屋』は2014年のニューヨーク・タイムズに掲載された1つの記事に着想を得て製作された。ブルックリンで実際に起きた銀行強盗事件の記事から脚本が書かれた『狼たちの午後』と同じ経緯だ。メキシコ最大の麻薬カルテル「シナロア・カルテル」の運び屋レオ・シャープ(劇中ではアール・ストーン)について書かれた記事を、『グラン・トリノ』でイーストウッドとタッグを組んだニック・シェンクが脚本に仕上げた。

 

『運び屋』でイーストウッドが演じるのは、90歳の麻薬の運び屋アール・ストーン。『グラン・トリノ』以降、俳優業は控えると公言していたイーストウッドだが、本作では自ら主人公アールを演じている。おそらく、撮影当時88歳だったイーストウッド以外に適役がいなかったのだろう。イーストウッドがスクリーンに登場したのは『人生の特等席』以来じつに6年ぶりになる。

 

映画界のレジェンドにして銀幕の大スター、クリント・イーストウッドは「おじいちゃん」になった。『運び屋』の上映が始まって、イーストウッドがスクリーンに登場したとき最初に感じたのは「さすがに老けたな……」という驚きとショックのないまぜになった気持ちだった。背中は丸みを帯び、声はしわがれていて、かつての険しい顔つきは朗らかな笑顔に取って代った。野菜と大豆がメインの食生活で、元々すらりとした体型だったけれど、齢を経てより一層細身になったように感じる。かつて『シークレット・サービス』で見せた強靭なイーストウッドはどこにもなくて、なんだかしぼんで見えたのがショックだった。まぁ、いくら齢を取ろうとカッコいいことには変わりないんだけど、久々に父親の背中を見たら、昔は大きくて広かった背中がしぼんで小さく見えたときのような、もの悲しい気持ちがこみ上げてきた。

 

本作でイーストウッドが演じるのは、朗らかな「おじいちゃん」だ。麻薬カルテルの下っ端から仕事の指図を受けても「OK」「Alright」を繰り返すマイペースな「おじいちゃん」  スマホの使い方は組織のメキシコ人から教えてもらうし、ことあるごとに「今どきの若者はすぐにインターネットに頼る」と苦言を呈する。数万ドル相当の麻薬を運んでいるにも関わらず、音楽を口ずさみながら軽快にハンドルを叩くマイペースっぷり。極めて自由奔放に運び屋の仕事をこなしていく。美味しいバーガーを食べるために停車するし、気の赴くままに車を走らせる。このランダムな行動が、結果的にDEAの予想を裏切って捜査を撹乱させることになるのだが……

 

DEAの捜査官、コリンへ人生訓を垂れる場面でダイニングの名前が「Gunny's Burgers」になっているのは、『ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場(1987年)』でイーストウッドが演じた役、トム・ハイウェイ1等軍曹のあだ名に由来している。【Gunny:ガニーは一等軍曹を意味する】

 

イーストウッドの「おじいちゃん」っぷりが最も顕著に示されるのは、コリンに逮捕されるクライマックスシーンだ。危うい足取りでゆっくりと後退していく姿に、思わず泣きそうになった。だが、そんな老いさらばえた様子を演じながらも「Hollyshit!」と悪態をつくときには、かつてのタフガイの姿が垣間見える。「まだ衰えてないからな、舐めるなよ若造」と言わんばかりの眼光の鋭さは、かつて44マグナムをぶっ放していた時から少しも変わっていない。

 

そうかと思えば、麻薬カルテルのボス邸で美女2人を相手にするときは「心臓の薬を飲まなきゃ」と自虐するチャーミングな一面を見せる。「ジェームズ・スチュワートに似てるって言われない?」と言われるのもうなずけるほどに、茶目っ気たっぷりで愛嬌のある「おじいちゃん」ではないか。齢を重ねて丸くなった「おじいちゃん」ならではの貫禄でもって、カルテルの下っ端や、DEAの捜査官に人生の教訓を諭す場面では言葉の1つひとつに人生経験を感じさせる重さがある。

 

麻薬カルテルのお目付け役に発見されて、あやうく殺されそうになるシーンでは『ダーティ・ハリー』と同じあのセリフを言い放つ。「Go ahead(撃つなら早くやれ)」と諦観しきったように吐き捨てるイーストウッドには、目前に迫った死への覚悟が感じられる。ハリー・キャラハンのようなほとばしるほどの荒々しさはどこにもない。すぐそこまで迫っている死に対して驚きもせず、抵抗するわけでもなく受け入れようとするのは、イーストウッドが「おじいちゃん」になった証しだ。死を身近に感じる年齢になったからこそ、いつそれが訪れようとも受け入れる準備はできている。そんな潔くも哀愁的な覚悟を見せるイーストウッドは、史上最高にカッコ良い「おじいちゃん」だ。

 

真顔でいる時でも常に眉間に皺が寄っているのが、若かりしイーストウッドの特徴だった。くぼんだ目。削ぎ落とされた頬。尖った顎。険しい顔つき。細くてきりっと引き締まった眉。どの角度から観ても映画ばえのする顔だち。「おじいちゃん」になったイーストウッドは、これらの面影を残しつつもどこか穏やかな表情がある。人生の酸いも甘いも知り尽くした、深遠な人生経験に裏打ちされた鷹揚さが円熟したイーストウッドの特色なのだ。

 

イーストウッドの贖罪

 

『許されざる者』以降のクリント・イーストウッド監督は、まるでスクリーンの中で自らが犯した暴虐を悔いるかのような訓示的な作品を撮り続けてきた。監督としての初期作品から特徴的だった照明を抑えた暗めの画面設計は、『ミスティック・リバー』で絶頂を迎えた。ジャズを好み、自ら作曲も手がけるイーストウッドは、音楽の面でも静かなトーンの音楽を好んで使ってきた。ダイアローグシーンでは極力音楽を使わずに、アクションシーンでは控えめで、もの静かな音楽を使いがちだった。その点、『運び屋』はこれまでの陰鬱でダークなトーンからは一転している。アールの朗らかな性格を反映したかのように、画面には光があふれ、運転シーンではゆったりとした音楽が鳴り響く。

 

これまでのイーストウッド作品と比べてやや明るめのトーンで描かれるのは、アール・ストーンの許しと贖罪の物語だ。アールは自らの懐を肥やすために運び屋の仕事を引き受けたわけではなかった。最初は孫娘のために、次は人生の全てを捧げてきたデイリリーの農園を守るために。そして、自身の拠り所である退役軍人クラブを守るために。法に背いていることは百も承知ながら、他人を幸せにするために金が必要だった。ロビンフッドのように、手段を選ぶ余裕などなかったのだ。

 

これまで仕事ひとすじで生きてきたアールは、家族とはほぼ絶縁状態にある。家族を養うためと自分に言い聞かせて仕事に邁進してきた。家にいることよりも、家の外で名声を得ることの方が大切だと思っていたからだ。お金を稼いで名誉を授かれば、きっと家族は自分に振り向いてくれると信じていた。だが、そんな彼の想いとは裏腹に仕事に精を出せば出すほど、家族との距離は離れていくばかり。

 

そして、別れた妻の死に際に「お金なんてなくてもよかったのに」と言われたとき、アールは自らの誤りに気づくのだ。父親として当然のことを何一つしてこなかったアールへ、別れた妻は想いを寄せ続けていた。その象徴である裏庭に植えられたデイリリーを見つめながら、娘へ許しを乞うアールの姿は波乱万丈な結婚生活を送ってきたイーストウッドと重なって見える

 

娘の役を演じているアリソン・イーストウッドは、イーストウッドの実の娘だし、アンディ・ガルシアをぶち殺してトップの座を奪ったクリフトン・コリンズは、フランシス・フィッシャーとの間にもうけた娘フランチェスカ・イーストウッドの夫でもある。この時点でイーストウッドの家庭事情が複雑なのは何となく察すると思うが、こんな調子でイーストウッドは5人の女性との間に7人もの子どもをもうけている。『ダーティ・ハリー4』で共演した元愛人のソンドラ・ロックは、本作の公開を待たずして鬼籍に入った。

 

こういった背景を踏まえて見てみると、「ずっと車を運転してお前たちを養ってきたんだ」と冒頭のシーンで妻へ反論するアールは、まるで映画に人生を捧げてきたイーストウッド自身のようにも見える。『許されざる者』『グラン・トリノ』で暴力の悲惨さを訴え、『ミリオンダラー・ベイビー』では生命倫理の臨界点を鋭く描き出し、『アメリカン・スナイパー』では戦争によって歪められた人生を生々しく描いたイーストウッド監督。落ち着いたトーンで淡々と語られる重厚なドラマ作品を手掛けてきた老練のフィルムメイカーは、本作『運び屋』で自身のキャリアへの総決算を図ったのではないか。

 

ラストシーンの法廷でアールが娘へ言うセリフ——時間がない。お金はたくさんあったのに、時間だけは買えなかった——は、次々と新作を撮り続けるイーストウッド監督自身の言葉のように聞こえる。1年間に2作品をリリースする*1イーストウッド監督の創作意欲は衰えるところを知らない。「小僧に心配される筋合いはない」とか言われそうだけど、体に無理のない範囲でこれからも意欲的に映画を撮り続けて欲しいと願うばかりだ。

 

おすすめ度 

 

作品情報

原題:The Mule

監督:クリント・イーストウッド 『グラン・トリノ』『ミリオンダラー・ベイビー』

脚本:ニック・シェンク 『ジャッジ  裁かれる判事』『グラン・トリノ』

 

撮影監督: イブ・ベランジェ 『わたしはロランス』『ダラス・バイヤーズクラブ』

音楽: アルトゥロ・サンドバル (キューバ出身のジャズ・トランペット奏者)

編集:ジョエル・コックス 『許されざる者』『ミリオンダラー・ベイビー』

 

製作会社:インペラティブ・エンターテイメント

BRONクリエイティブ

マルパソ

配給会社: ワーナー・ブラザース

 

上映時間:116分

制作費:約50億円………*2

Imdbスコア:7.2………*3

Rotten Tomatoスコア:70………*4

公式サイト:『運び屋』公式サイト

 

データ

観た場所:大阪ステーションシティシネマ スクリーン3

観た時間:2019年3月9日 18時

観客の平均年齢:30代後半くらい(年配の方が目立ったけど若い人も同じくらいいたので驚いた)

空席の数:10%以下

男女比:男性50% 女性50%

*1:『運び屋』は、前作『15時17分、パリ行き』と同じ2018年にアメリカで公開されている

*2:Source

*3:2019/03/10時点

*4:2019/02/20時点