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AV女優=天職と言い切る天使:紗倉まな

紗倉まな

 

 

思索的な人だな、というのが紗倉まなさんの第一印象だった。興味を持ったのは私と年齢が変わらないからかもしれない。先日、全豪オープンで優勝を飾った大坂なおみ選手や、メジャーに移籍しても結果を出し続ける大谷翔平選手。私とたいして年齢の変わらない人たちが活躍しているのを見る度に、自分はまだままだと自戒の念に駆られたり、いや自分もいつかはやってやると奮起したりするのだけれど、紗倉まなさんの本を読んだ時もこれと同じだった。

 

 

恥ずかしいことに、本を読むまで私は紗倉まなというAV女優を知らなかった。本を読んで感銘を受けた私は、友人に「紗倉まなってAV女優さん知ってる?」とLINEを送るはめになる。天動説と地動説を知らなかったホームズに、ワトソンが鼻で笑って諭すかのように、友人は「男やったら知ってて当然やろ」と返事をよこした。本を読む前の私なら逆上していたかもしれないが、読み終えた今の私には返す言葉もなかった。というのも、このエッセイを読む前と読んだ後では、私の中でAV女優という職業に対する見方が一変したからだ。

 

AV女優≠アングラ

エッセイを読んで最初に感じたのは、紗倉まなさんは繊細な感性の持ち主だということ。まずAV女優を志した動機がすごい。

 

「女性の体って、こんなにキレイなんだ……」と、感動してしまったんです。教科書で見たミケランジェロの彫刻を、動画で見たように思えたりもして。

 

からだ全体ですべてを表現するバレエダンサーや、現実味がありながらも現実には決して存在し得ない美しさを描いた西洋画の女性を見ると、女性の体は美しいなと思う瞬間がある。流麗な体のフォルムや、シルクのように透き通った肌。これほどまでに完璧な美しさをデザインした神さま——あるいは自然というべきか——は至高の芸術家だと思う瞬間。

 

そんな美の片鱗をAVに見出した彼女の感覚の鋭さ、慧眼っぷりに感服する。本の中でも取り上げられているが、世間的にはAV=アングラで秘匿すべきものという風潮が蔓延している。性に寛容な欧米とは対照的に、日本ではセクシャルな要素は疎むべきものだと受け取られることが多い。だが、本の中の表現を借りるならば、AV女優とは裸をさらけ出して表現する仕事だ。描くべきテーマがあって、それを表現する手練手管がある。これは映画とて同じこと。それがAVというメディアにすげ替えられた瞬間、アングラな匂いを帯び始める。AVが描いているのは、極限まで突き抜けた性の描写だ。どんな分野でも圧倒的に尖った人はカッコいいと思うし、極限まで突き抜けることができればそれは芸術だと思う。

 

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そもそも、AV=なんだか怪しいものという、バイアスを上書きする必要があるのではないか。現実的で実際的なセックスではなく、魅せるため(見せるため)のセックスを表現した作品だと再認識する必要があるのではないだろうか。かくいう私もまた、本書を読んでバイアスを上書きする必要性に気付かされた。

 

プロとしてのAV女優

本書の中で、紗倉まなさんはブラックボックス然としたAV業界について、自身について、あけすけに語っている。撮影中に起こったハプニングや、撮影スタジオ、男優さんのなり方まで包み隠さず綴っている。中でも印象的だったのは、高専在学中にデビューを飾り、しかも同級生にそれがバレるという死亡フラグ案件。もし私が同じ立場だったら、絶対に登校拒否していると思う。しかも、親にもAV女優であると打ち明けているというからすごい。一般的なイメージだと、身内にはできるだけバレないようにするのが当然のように思える。だが、隠すことなくむしろオープンにしているのは、仕事としてプロとしてAV女優になりたかったという硬い決意のなせる業だと思う。天衣無縫な容姿からは想像できない意志の強さ、タフっぷりに尊敬する。

 

本書を読んでいて、プロとしてAV女優になるってこういうことなんだなと感じた箇所がいくつかある。

 

他の女優さんと競い合っていくには、プレイの技術や演技力、見た目、トーク力などいろいろなものが求められますが、そういったものはきっと、いつか誰かに追い越されてしまう、代わりの効くものなのかなと、痛感します。
(中略)
AV女優という職業もこうした生き残りをかけた競争社会だからこそ、私の唯一の武器である気づかいは、この先ずっと忘れないようにしたいなと思っています。

 

自分が愛しているわけでもない男性とセックスをすることは、きっと辛いことですよね。でも、辛いと思ってしまった時点で、それは一瞬にして仕事ではなくなってしまうわけなんです。そこはしっかりと、作品を作るということに重点的に意識をおいて、一時的な愛情をつくる。そして、カットの声がかかると、すっと好意を消す。


相手の立場になって考えること。つまりは人とのコミュニケーション力。これはどんな仕事でも求められる。言うは易く行うは難しで、実践するのは容易ではないけれど、つまるところ人となりが大切なんだなと改めて感じた。人としての総合力というか、人間力というか、どれだけ相手のことを考えられるか、気を配れるか。プロとして仕事をするうえで、この点を疎かにしないから紗倉まなさんはスター女優になれたんだと思う。ネット上のレビューにも目を通し、改善点が見つかれば次作に活かすという徹底っぷり。どんな分野であれ、成功した人というのは華々しい成果の裏で、緻密な努力をしている。

 

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もっと性に貪欲でもいいと思う

かつて、日本は性に寛容な国だった。いにしえの和歌は、男女が一夜を交わした後に迎える朝の清々しさを謳っている。今ではスーパー銭湯に取って代わられた街場の銭湯は、寺山修司いわく裸で演じる劇場である。男女混浴の銭湯は、パブリックな空間にプライベートな要素が闖入しているシュールな劇場だ。そんな性にオープンだった日本人はどこへ行ったのやら。協調を重んじる日本人のシャイな性格が働いたのか、いつの間にやら日本人の性は固く閉ざされてしまった。

 

ピンク映画からAV業界に転身した代々木忠 氏は著書『プラトニック・アニマル』の中でこう語っている。セックスとは本音の世界であり、「かくあらねばならぬ」という固定観念をどこまで捨てられるかが重要なのだと。どんな肩書をもっていようと、どんな立場であろうと、一糸まとわぬ姿でセックスに没頭している瞬間、人はラディカルで平等になれる。「性=なんとなく悪いイメージ」というバイアスを疑ってみてはどうだろうか。心身ともに裸になれば、より生を実感できるのではないか、より性を尊いと感じれるのではないか。この本を読んで、知らず知らずのうちに凝り固まった固定観念をかなぐり捨ててみてはどうだろうか。

 

この本が初めての書籍だった紗倉まなさん、驚いたことに小説も書いている。気になったので早速Amazonでポチってみた。鋭い感性を小説でどのように発揮しているのだろうか、読むのが楽しみだ。