Hush-Hush: Magazine

映画の批評・感想を綴る大衆紙

追悼:京都アニメーション 『夢と希望』をありがとう

prayforkyoani

 

痛ましい事件が起きた。たった一人の凶行によって、多くの無辜の命が奪われた。

 

一身上の都合から、しばらくの間はブログを更新しないつもりだったのだが、居ても立ってもいられなくなり、こうして筆を取った次第である。

 

これは一人のアニメファンの悲痛な心の叫びである。いつになく感傷的にすぎるけれど、どうか今回ばかりは許してほしい。

 

『京アニ』は、私にとって青春時代そのものであった。鬱屈とした中高時代に差した一条の光だった。中学に入った私は、内向的な性格から自分の殻に閉じこもり、周囲に馴染めず孤立していた。そんな折、中学2年生の夏、私はアニメの洗礼を受ける。『涼宮ハルヒの憂鬱』の冒頭、無軌道この上ないハルヒが、中庸を好む小市民キョンの背後に座ったのと同じように、私の後ろの席に座った男子――後に彼は私にとってかけがえのない親友となった――Y君が、当時放送していた『けいおん!』を執拗にレコメンドしてきたのだった。

 

当初は、冗談半分で聞き流していた私だったが、 目を輝かせて作品を語るY君の熱意に根負けし、私はついにアニメの扉を叩くことになる。退屈で仕方なかった学生生活に、夢と希望がもたらされた瞬間だった。今でこそ、オタク文化が一部の人だけの特権ではなくなって久しいけれど、当時はまだ「深夜アニメを見ている奴=オタク=キモい」という構図が濃厚だった。両親や教師、学生生活を謳歌しているクラスの中心人物たちは、「そんなのは単なる現実逃避」だと非難した。

 

だけど、べつに現実逃避であってもいいじゃないか。

 

それで心が救われるなら、共通の話題ができてコアな友人と話に花が咲くのなら、それでいいじゃないか。『けいおん!』の和やかな空気感・ムードで、齢14の私がどれほど癒やされたことか。毎週末の放送を、どれだけ楽しみに待っていたことか。あの歓心は、非オタクにはとうてい分かるまい。

 

『けいおん!』を起点として、私のアニメライフはスタートした。初めて『Air』のオープニングを観た時は、胸がすくような郷愁を覚えたし、初めて『CLANNAD』を観た時は、あまりの切なさに感涙がこみ上げた。『らき☆すた』を観て、コミケの存在を知り、後に友人たちと連れだって有明に赴いた。『日常』では、当時ニコニコ動画で話題の的だったヒャダインが主題歌を担当するという話で、友人たちと盛り上がった。周囲が大学受験に余念がない高校生活後半には、『中二病でも恋がしたい!』の桁外れな戦闘シーンの作画に衝撃を受けた。

 

そうだ、私の青春時代は『京アニ』と共にあった。

 

コアなオタクの友人ができたのも『京アニ』がきっかけだったし、退屈だった休み時間に格好の話題を提供してくれたのも、進路に迷っていた私を、映像の専門学校へと後押ししてくれたのも、すべては『京アニ』という存在があったゆえだ。

 

京アニショップの近傍に住む友人の家に泊まって、少ない小遣いからグッズを買った時の悦びは今でも鮮明に覚えている。修学旅行の時、深夜に友人たちとパソコンを囲んで観た『CLANNAD』は、ささやかだけど忘れがたい青春の1ページだ。

 

私の青春時代に、文字通り『夢と希望』を与えてくれた『京アニ』が、どうしてこんな仕打ちを受けなければいけないのか。それも、たった一人の、身勝手な凶行によって。

 

専門学校時代の同級生が、もしかしたら現場に居合わせたかもしれない。だけど、逃げるようにして中退したので今となっては疎遠だし、連絡の取りようもない。ただただ、不安と焦燥が募る。同級生がどうか無事であることを祈るばかりだ。

 

ニュースによると、事件当時は取材のアポがあって、セキュリティが解除されていたのだそうだ。本当に、ほんとうに嫌な偶然である。

 

胸が塞がる思いだし、言葉に詰まる。ただただ胸が痛む。

 

何か自分にできることはないのかと、焦りが募るばかりで、その実なにもできないという事実が歯がゆくてたまらない。せめてもの思いから、 クラウドファンディングに参加したけれど、『京アニ』が私に与えてくれたものの大きさには到底届かない。

 

今はただ、祈ることしかできない。

 

亡くなられたスタッフの方々、どうか安らかにお眠りください。
かけがえのない作品と思い出を、ありがとうございました。