Hush-Hush: Magazine

映画の批評・感想を綴る大衆紙

セレニティー: 平穏の海 | 欠陥だらけのC級映画

ネットフリックス映画 『セレニティー: 平穏の海』

 

 

『インターステラー』で共演したマシュー・マコノヒーとアン・ハサウェイが再びタッグを組んだ。しかも、脚本は『ピーキー・ブラインダーズ』のスティーブン・ナイトだというではないか。『インターステラー』は劇場で7回見たくらい大好きだし、『ピーキー・ブラインダーズ』は私が今までに見た海外ドラマの中でも一二を争うくらい大好きな作品だ。そんなこともあって、『セレニティー: 平穏の海』の予告編が公開されるやいなや、私は期待に胸を膨らませていた。この予告編のデザインがまたクリエイティビティに富んでいて最高だった。釣り糸がカチカチと音を立てながら滑ってゆく。そして、その音に合わせて緊張感が徐々に高められていく、なんとも美しい予告編。こんな独創的な予告編を見せられたら、いやでも期待値が上昇するではないか。

 

そんなわけで、さっそく本編を見てみたのだけれど、なかなかどうして酷かった。どれくらい酷いかというと、1500円も支払ったのにスーパーのお惣菜以下の味だったランチと同じくらいに酷い。マシュー・マコノヒーとアン・ハサウェイですよ!  オスカーを受賞した超大物俳優を起用しながら、この出来はなんだというのか!  市販のルーを使っていながら、どうしようもなく不味いカレーを作ってしまったかのような、一周回って才能があるんじゃないかとさえ思えてくるC級映画じゃないか!  私の期待を帰してよ…… 釣りの話題だけに予告編で釣ろうだなんて、オヤジ臭い諧謔精神はいらんからな、ネットフリックス。

 

控えめに言って酷いはばからずに言えばShit Shit Shit !!! ————3回繰り返しても足りないくらい。 『バードボックス』も惨憺たる結果だったけれど、今回はそれを凌いで余りあるくらいにShit! ですわ。

 

(´-`).。oO( 汚い表現を繰り返して顰蹙を買うかもしれないけれど、何度でも私は言うぞ!  それくらに業腹なのだから言わせてもらう! )

 

それでは、辛辣すぎるレビューの開幕です。

 

Spoiler Warning——この記事はネタバレと激しい怒りを含んでいます

 

脚本が酷い……控えめに言って酷い

 

『セレニティー: 平穏の海』の何がC級映画たらしめているのかといえば、脚本ですよ、脚本!!   かの黒澤明 監督もおっしゃっているように「つまらない脚本から優れた映画が生まれることはない。優れた脚本からつまらない映画は生まれない」のであります。これ世界共通の映画のセオリーであります。これテストに出るので赤線引くように。

 

では順にストーリーを追ってみよう。紺碧の海でベイカー(マシュー・マコノヒー)が巨大な魚「ジャスティス」と格闘している場面からストーリーは始まる。観光客そっちのけで自ら竿を振り回すベイカーは、この巨大な魚にご執心の様子。その後のシーンでは、コンスタンス(ダイアン・レイン)とベッドで一汗流す。このシーンで懐が寒いことが示される。ここまでで、ベイカーの基本的なキャラクター設定は出来上がる。

 

そして、アン・ハサウェイが登場する。ありえないくらいクドいカメラワークと共に。しかも、御大層に「Shhhhhhh!」という効果音までついている始末。この過剰な演出が、「この世界はゲームでした」というどんでん返しに繋がるのだろうけれど、それにしてもクドい。ここでフランク(ジェイソン・クラーク)殺害の依頼を受ける。これが脚本でいうと1stプロットポイントにあたる。久方ぶりに現れたと思ったら、突然物騒なお願いをしてくる元妻へ丁重にお断りの意を示すマシュー・マコノヒー。

 

ファーストプロットポイント

 

この後のシーンは何が起きるわけでもなく、ダラダラと展開していく。黒人の助手君と仲違いしたり、「シャワーだ(ドヤ顔)」とか言って海にダイブしてみたり、アン・ハサウェイと熱いラブシーンを演じてみたり、これといって際立つシーンはない。そして、序盤から存在感ありまくりなメガネの男がベイカーの家にやってきたシーンで「どんでん返し」が発動する。というか、この男がストーリーの本筋に絡んでくるのが遅すぎる!  すくなくとも、ベイカーが船で海へ繰り出すのを「待って!  待ってくれ!! 」と息せき切って追いかけるくだりは2回も要らんからな。『ブレードランナー』の「2つで十分ですよ」はここでは通用しないんだからな。

 

そして、ようやくメガネ男の素性が明らかになったかと思えば「実はゲームでした、じゃじゃーん」だと……?

 

冗談じゃないぞ!  アン・ハサウェイが金髪になってるだけでも十分に冗談だというのに、それを上塗りする冗談をまだ隠していたとは! この時点ですでに「あかん、地雷踏んでしもた……」と思ったのだけれど、マシュー・マコノヒー見たさに結局最後まで見てしまった。というか、マシュー・マコノヒーが主演じゃなかったら成立してないよね、この映画。

 

この世界の秘密を知ったベイカーは、よく分からん葛藤を抱えてラム酒のボトルを次々と空にしていく。この時点でどうしてベイカーが悩んでいるのか、葛藤しているのかが理解できない。何を悩む必要があるんだ、ベイカー。ゲームなんでしょ? 法律も倫理もクソもへったくれも無くなった今、あんたは何をしてもいいんだよ。何を悩む必要があるというのか。自分の存在を疑う? 「この世界がゲームなのだとしたら俺は一体何なんだろう?」そんなアイデンティティーを探すようなセンチメンタリズムを一体いつ手に入れたというのか。元嫁が誘ってきても「俺は息子のためにやるんだからな! お前のためじゃないんだからな!」と肩肘張っていた時のあんたはどこに行ったんだよ!

 

そして最後にはご丁寧に泥酔したフランクを船に乗せて、わざわざ竿を持たせて海に転落させる始末。いや、ちょっと待て、わざわざそんなことしなくとも「ゲームの世界」なんだから、もっと直接的に殺せばいいじゃないのか。でもって、よく分からんままに世界が再構築されて息子と抱き合うベイカー。感情を盛り上げようという気がぷんぷんのBGMを伴って、幸せそうに抱き合う2人が映し出される。

 

いやいや、ツッコミどころ満載すぎて感動どころとちゃうねん!  そもそも、ベイカーの息子が逮捕されてから釈放されるまでの間が全部ナレーションで語れるだけで、展開があまりにも急すぎる。感動してくださいと言わんばかりの臭い演出で迎えるエンドロール。感動どころか、混乱と怒りの感情しかなかったわ!

 

というか、ストーリーの大まかなプロット自体がヘミングウェイの『老人と海』そのままだし、そこへ「ゲームの世界」という水に油を注ぐような異要素を持ち込んだから、もう収集がつかなくなっている。北欧系のデスメタルのようなカオティックな様相すら呈してるではないか。こんなとっ散らかった脚本を修正できるのはピクサーのストーリー開発チームしかいないのではないか。いや、ピクサーきってのストーリーテラー、アンドリュー・スタントンですら音を上げるかもしれない。

 

それから、ダイアン・レインの扱い方の雑なことったら! もうすっかり老け込んで、かつての美貌はどこへやら「綺麗なオバちゃん女優」になったとか言いたげなスティーブン・ナイト監督の顔が思い浮かぶわ。そもそも、ダイアン・レインの演じるキャラクターってストーリーに必要だったの?   別にいなくてもストーリーは進展するんじゃないの?  欲求不満な中年女性を演じさせるくらいなら、もういっそのこと「今夜は青春」をバーで歌わせておいた方がよっぽどましだった。

 

田舎のオヤジ: マシュー・マコノヒー

 

『セレニティー: 平穏の海』はマシュー・マコノヒーとアン・ハサウェイ、この2人の演技で何とかかろうじて映画としての体裁を保っている。というか、この2人がいなかったら映画とすら呼べないんじゃないか。

 

マシュー・マコノヒーは田舎のオヤジが似合う俳優だ。本作で自身の身の丈ほどもあるサトウキビ畑を車で疾走する姿は、『インターステラー』の時から何も変わっちゃいなかった。『MUD -マッド-』で見せた擦り切れたオヤジの渋さも健在だ。次から次へとジッポーでタバコに点火して煙をふかすマコノヒーは、いかにもタフガイといった雰囲気が漂っている。『トゥルー・ディテクティブ』の時のように、本作でも所かまわずタバコを吸いまくる。しかも吸い殻は海にぽいっと放り投げるアウトローっぷり

 

『ダラス・バイヤーズクラブ』で視力に影響を及ぼすくらいの減量を行ったマシュー・マコノヒー。『インターステラー』ではシャツから突き出したビール腹を披露し、『ゴールド / 金塊の行方』ではハゲ散らかした頭を見せつけた。そして今回はというと、海の男らしくたくましい上腕二頭筋が眩しく輝いている。どれだけ体を酷使すれば気が済むのだろうか、この人は……

 

そんなマシュー・マコノヒーの演技が光るのは、中盤でアン・ハサウェイに誘われるシーン。衝動的にズボンを下ろして元嫁に迫るも、彼女の背中に刻まれた痛々しいミミズ腫れを見て、自分の浅はかさを悔いる場面。なんとも繊細な機微が言葉ではなく、演技で表現されている。セリフを言わずして何かを表現できるのは、一流の俳優である証しだと思う。アル・パチーノは目だけで何かを語れるし、ロバート・デ・ニーロは背中で何かを語ることができる。

 

でも、そんな1級の演技をぶっ飛んだ脚本が相殺してしまう。とりあえず、脚本を何とかせにゃ……

 

脚本を脹らませる

 

犯罪組織の親玉を殺す————この状況設定だけでもストーリーを展開させる推進力は十分にある。最終的にどうなるのか、男は殺されるのかどうか。この宙吊り状態がサスペンスを生み出し、観客を最後までストーリーに惹き付ける。状況設定は悪くないのにも関わらず本作の脚本が迷走しているのは、この設定に「実はゲームだった」というどんでん返しを持ち込んでいるからだ。

 

そもそも、自分たちの住んでいる世界がゲームだと知ったゲーム内の人物たちはどう振る舞うのだろうか。まずは、その事実を確かめようとするはずだ。本作ではベイカーが地図を引っ張り出して事実を確認する様子が描かれている。この他にも、人を殺してみたり、自殺してみたり、どこまでも船を走らせてみたりと、確かめる方法はあるのだけれど、なぜかベイカーは地図で確認しただけで納得してしまう従順さを見せる。

 

もし、この世界がゲームだったとしたら、私たちを縛っている規則やら倫理観といったものは音を立てて崩壊する。どうせ仮想なのだから何をやっても許される。ゲーム内の世界でいかにも人間らしく振る舞うキャラクターたちの思考も感情も、すべて作りものなのだとしたら、「私とは何なのか?」とアイデンティティーを追求したくなるに違いない。ましてや、本作のように限りなく現実に近いかたちで虚構の世界を感じられるのだとしたら、「本物と偽物」「現実と虚構」をめぐって様々な思いや葛藤がこみ上げてきて当然だろう。

 

だけど、このテーマを描こうとすると本作のストーリーの本筋である「フランクを殺すこと」が達成できなくなる。そもそもが、この異世界設定に無理がある。何を考えてこんな突飛な設定をストーリーに突然持ち込んだのだろうか。この設定を踏襲するのなら、『レディ・プレイヤー1』のようなゲーム内の世界と現実世界が交錯するストーリーにしてしまうほか解決策はないように思う。ジャンルはSFファンタジーになってしまうけれど。限りなく現実に近い仮想空間が出現したとして、そこで生活する人々と現実世界での彼らの葛藤を描く。もしくは、ゲーム世界での出来事と現実世界での出来事をリンクさせてストーリーを展開していくとか————ソードアート・オンラインのような。

 

プランA:早い段階でフランクを始末する

 

では、「ゲームの世界だった」という設定を白紙にしてストーリーをもっと脹らませられないだろうか。メガネの男が「ゲームの世界なんだよ、じゃじゃーん」とどんでん返しをするのが、本作のストーリーでは2ndプロットポイントに相当する。

 

たとえば、この2ndプロットポイントでフランクを殺害してしまうとどうなるだろうか。フランクが排除されて、新たにボスの座についた男がベイカーとカレンの命を狙う。新しいボスは組織を総動員して2人を追う。ついにはベイカーの息子が人質に取られる。莫大な金と引き換えに息子を引き渡すという取引を持ちかけられたベイカーは、メガネ男の存在を思い出す。

 

(´-`).。oO( メガネ男の設定も、漁業機器の営業マンから魚の販売業者あたりに変更してみてはどうだろう。もっとストーリーの早い段階でベイカーに接触し、魚を買い取るとの取引を持ちかける。だが、意固地なベイカーは「ジャスティス」しか眼中になく、男の取引を突っぱねる。突如、大金の必要に迫られたベイカーは考え直してメガネ男の話に乗ることにする。息子を救えるだけの金額を支払うという条件付きで。 )

 

いよいよ後がなくなったベイカーは海へと繰り出す。「ジャスティス」との最後の対決、ついに雌雄を決する時が来た。息子を取り戻すべく、後に引けなくなったベイカーは一切の迷いを断ち切って、全身全霊で巨大な魚と対峙する。

 

(´-`).。oO( このジャスティスという名前も、善と悪のシンボルとしてつけられているだけだし、いっそのこと他の名前に変えてしまってもいいのでは? たとえば、イラクに赴任中にベイカーが経験したトラウマにまつわるものとか。イラクで敵対した武装テロ組織のリーダーの名前とかどうだろう。過去にベイカーはこのテロ組織に同僚を殺されているというトラウマ。劇中では詳しく描写されていないけれど、ベイカーの過去を掘り下げることで内面の描写をもっと増やせると思う。 )

 

長時間に及ぶ死闘の末、ベイカーは「ジャスティス」の亡骸を引きずって港へと帰ってくる。波止場にはメガネの男、カレン、犯罪組織のボス、そしてベイカーの息子が集まっている。約束どおり、メガネ男は魚に対する報酬を支払い、そのお金をベイカーは犯罪組織に渡す。無事に息子を取り戻し、涙ながらに抱擁を交わすベイカー。

 

そこで、犯罪組織の男がカレンを撃ち殺す。冷めきっていた愛情、かつては愛だった何かが崩れ落ちる。カレンが姿を消してから固く閉ざしていた過去の記憶が走馬灯のようにベイカーの脳裏をよぎる。ベイカーの慟哭が波止場に響き渡る。「すまなかった…… 俺が悪かったんだ…… 」だが、ベイカーの告解はカレンの耳には届かない。長年干上がっていた愛情の海原が、かつてないほどの愛で満たされていく。だが、その愛を注ぐ相手はもうこの世を去った後だ。寂寞とした波止場を映してエンドロールが流れ始める。

 

プランB:フランクの殺害をクライマックスに持ってくる

 

もしくは、フランクを殺す場面をフィナーレに持ってくる場合。2ndプロットポイントでフランクはベイカーを夕食に招待する。美味とアルコールで口は軽くなり、話題は息子へと移る。カレンがベイカーの元を去った後の息子の様子が、フランクの口から明かされる。経済的には恵まれていて最新のパソコンを買い与えたとか。1日中パソコンの前にしがみついていて、友人は1人もない孤独な日々を送っているとか。フランクが週末に魚釣りの指導をしてやっているとか、そんな類のエピソードだ。

 

そして、そんな息子の境遇に同情したベイカーはうっかり素性をバラしてしまう。真相を知ったフランクは激昂する。明日に控えたマグロ釣りは取りやめて、今すぐ家に帰ると言い出す。だが、あいにくの嵐で島から本土への連絡船はすべて欠航している。バーの店主の話では、明日の朝には嵐も治まるという。フランクはカレンを殴ってホテルまで帰ってしまった。

 

フランクを殺るなら今しかない。感情的になったフランクを挑発して、ベイカーは何とか彼を船に乗せようとする。「どうした、1000ポンドのマグロを釣ったって話は嘘だったのか?」嵐の中、フランクとベイカーは船を繰り出す。かつて息子と共に釣りをしたときの釣り針をポケットに忍ばせて、ベイカーは「ジャスティス」と対峙する。

 

でも、この場合だとフランクとベイカーのどちらが「ジャスティス」を釣り上げるのかが問題になってくる。やはり、早い段階でフランクを始末してしまうのが最も効果的だと思う。

 

迷走するネットフリックス映画

 

ネットフリックスのオリジナル映画って、どうしてこうも煮えたぎらない作品が多いのかしら。オリジナルのドラマシリーズは粒ぞろいの作品だというのに。12話ないし、それ以下の話数で映画並のヴィジュアルと緻密なプロットを兼ね備えたドラマシリーズの完成度とは程遠く、オリジナルの映画作品はどれもこれもぱっとしない。『ROMA / ローマ』は素晴らしかったけれど、それを除くと軒並みB級映画ばかりじゃないか。

 

映画祭への出品作品を手がけるアマゾンスタジオや、もうじきサービスを開始するディズニーアップルなどの他社サービスと対抗するべく、有名俳優を起用したオリジナル作品を次々と製作したり配信権を購入したりするネットフリックス。でも、でもね、とりあえず有名な俳優を使えばいいってもんじゃない!

 

えぇ、たしかにマシュー・マコノヒーが出演していると言われれば自ずと興味をそそられますよ。観客はくたびれた様子を見せたマシュー・マコノヒーが大好きだし、犯罪モノに出演するベン・アフレックも、円熟したマッツも大歓迎ですよ。でもね、せっかく1級の素材を使ってもそれを調理する人が3流だったら意味ないじゃないの。ネットフリックスのオリジナル映画の大半は、名前も知らないような無名の監督だし。中にはデヴィット・フィンチャーやアルフォンソ・キュアロン、ポン・ジュノなどの有名監督を起用した作品もありますよ、たしかに。でもね、それらはオリジナル映画のほんの一部で、ぱっとしないストーリーをモダンなヴィジュアルで包み込んだだけの映画が大半を占めているじゃないか。

 

オリジナルコンテンツを増やそうと躍起になっているのは分かるし、莫大な金額を支払って配信権を獲得した『フレンズ』が無くなったらユーザーが離れてしまうのではないかと不安になるネットフリックスの気持ちも分かる。実際に、ネットフリックスのコンテンツの中で最も視聴されている作品の上位3位は、他社から配信権を購入した作品だし。

 

だけど、とりあえず数だけ増やせばいいってもんでも無い気がする。インターネットの黎明期、コンテンツが少なかった時代にとりあえず粗雑なコンテンツを量産していたのと変わらないじゃないか。せっかく調達した貴重な予算を、本作のようなC級映画の配給権に費やすくらいなら『デアデビル』の権利をディズニーから買い取ったり、『センス8』の続編を製作したり、『オルタード・カーボン』の続編を製作したりと他にやるべきことがあるはずじゃないの

 

ここ1年くらいのネットフリックスは迷走しているような気がしてならない。今秋配信予定の『ジ・アイリッシュマン』が配信されたら、解約しようかとさえ考えてしまうくらいに。まぁ、無名の監督を起用して彼らに実験の機会を提供するという意味では、ネットフリックスのやっていることにもそれなりの価値はあるとは思う。でもね、それならラース・フォン・トリアーくらいに尖った作品を撮っちゃえよ、と発破をかけたくなる。

 

月額料金を値上げしようとも、クリエイティビティに富んだ良質なコンテンツが楽しめるのなら、私はいくらでも財布を開くつもりだ。だから、迷走しないでサービス開始当初のような尖りまくったクリエイティブな作品を、ドラマシリーズではなく映画で撮り続けてくれ。

 

『セレニティー: 平穏の海』のようなC級映画の配信権を買い取るお金を他に費やすべきだ。こんなの脚本に目を通した段階で分かるはずじゃないの。どのプロットをどう弄ろうと、「ゲーム世界でした、じゃじゃーん」のどんでん返しを変更しない限り、たとえヒッチコックであってもこの脚本を名作に昇華させることはできないと。

 

いいか、よく聞けよ、ネットフリックスのクリエイティブ担当。もう一度、頭を冷やしてよく考えるんだ。なんだったら2週間くらい休暇を取って海外旅行にでも行ってみるんだ。おそらく、あんたは業務に忙殺されて冷静な判断力を欠いているだけなんだ————ネットフリックスの社内文化と、クリエイティビティに対するストイックな姿勢はテック業界では有名な話。

 

ねぇ、そうでしょ、ネットフリックスの中の人。

 

おすすめ度 

 

作品情報

原題:Serenity

監督:スティーヴン・ナイト 『ピーキー・ブラインダーズ』

脚本:スティーヴン・ナイト 『蜘蛛の巣を払う女』

撮影監督: ジェス・ホール 『トランセンデンス』『ゴースト・イン・ザ・シェル』

 

音楽:ベンジャミン・ウォルフィッシュ 『V・フォー・ヴェンデッタ』

編集:ローラ・ジェニングズ 『オール・ユー・ニード・イズ・キル』

 

製作会社: グローバル・ロード・エンターテインメント

配給会社:アヴィロン・ピクチャーズ(アメリカ)

ネットフリックス(日本)

 

上映時間:106分

制作費:約25億円………*1

 

Imdbスコア:5.2………*2

Rotten Tomatoスコア:19………*3

公式サイト:『セレニティー: 平穏の海』ネットフリックス

*1:Source

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