Hush-Hush: Magazine

映画の批評・感想を綴る大衆紙

『ROMA』はキュアロン版の『大人は判ってくれない』だった

Roma ネットフリックス

 

Spoiler Warning——ネタバレを含みます

個人的な、極めてパーソナルな映画

ゴールデングローブ賞ヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞NY批評家協会賞などの名だたる賞を総なめにした話題作『ROMA』がネットフリックスで配信されている。メガホンを取ったのは、『ゼロ・グラビティ』で”十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない”というクラークの第3法則を証明したアルフォンソ・キュアロン。ギレルモ・デル・トロ、アレハンドロ・G・イニャリトゥらとともに”メキシコ三羽烏”と呼ばれるキュアロンは、『ROMA』で自身の過去を題材に選んだ。

 

 

公開前から、「極めてパーソナルな映画になるだろう」と語っていたキュアロン。その宣言どおり、本作はキュアロンの極めて個人的な映画に仕上がっている。

往々にして、クリエイターは自身の過去を作品に仮託する。三島由紀夫の処女作『仮面の告白』は、同性愛者というコンプレックスを抱えた青年の半自叙伝的な告解だし、スタローンの書いた『ロッキー』の脚本は、彼を取り巻く状況をボクシングという格闘技に置き換えたものだ。なぜ、自身の半生を振り返るのに、ストーリーの力を借りるのだろうか?

 

評論家の小林秀雄は、著書の中で創作とはナマの経験を整理する形式だと言っている。現実世界で経験したことは、当事者にとって余りにも生々しすぎる。何を感じ、どういう言動をとり、どういう変化を遂げたのか、経験の衝撃が強すぎてなかなか知り得ない。それを客観的に理解しようとする試みが、創作なのだと言っている。

 

ともすれば、『トゥモロー・ワールド』で長回しという映像言語を再構築し、『ゼロ・グラビティ』でオスカーを受賞したキュアロンは、こう考えたのではないだろうか? 幼少期は判然としなかった感情の軌跡が、今の自分になら理解できるのではないか。名実ともに現代を代表する映像作家になった現在のキュアロンだからこそ、描ける物語——それが、自身の過去を材にとった半自伝的な本作『ROMA』なのだ。

 

作品全体に漂う感情のパルス

『ROMA』は各キャラクターの機微が繊細に描かれている。タバコを吸いながら、壁スレスレにマーベリックを駐車する父。父の不倫に勘付きながらも、それを子供たちには見せず気丈に振る舞う母。犬とクレオの無言の関係性。血こそ繋がっていないものの、家族と同じ距離感で接するクレオと子供たちの関係。

 

ハイ・バジェット映画とは違い、大きな事件こそ起こらないが、こうした日常のディテールを切り取ることで浮かび上がる、感情のパルスが本作には溢れている

 

本作でクレオ自身に起きる最大の変化は出産だ。父親のフェルミンは、力強さと人間的な強さを履き違えた弱い男だ。タフガイぶっているだけの小心者——卑小なプライドを埋め合わせようと学生運動の過激派に参加する。妊娠したと告げた途端、姿を消したフェルミンに、どう対処すればいいのか途方に暮れるクレオ。事実を隠さずに雇い主であるソフィに相談するシーンは、前半のクライマックスだ。夫の不倫を知りながらも、それを抱え込むソフィはストーリー序盤でクレオの仕事ぶりに非難を浴びせる。だが、妊娠を打ち明けたシーンでは1人の女性として男に捨てられた同類として、親身になってクレオに寄り添うのだ。なんと美しいシーンだろう。

ネットフリックス ROMA

そして、「血の木曜日事件」の日に迎える出産のシーン。大きく揺れ動く社会情勢を察知したかのように、暴動が起こった日にクレオは破水する。彼女を病院まで送り届けた祖母テレサの動揺ぶりが、何とも印象的だ。実際の医師を使って撮影された出産のシーンは、『ER緊急救命室』さながらの緊迫感が漂う。手術室で胎児を取り出してから、胎児の蘇生を行うシーンは途切れることのない長回し撮影で観客の緊張感を高め続ける。亡くなった胎児を抱いたクレオが、医師の忠告など耳に入らないかのように、かたくなに胎児を手放そうとしないシーンは、彼女の喪失感を視覚的に伝える

 

そして、海辺のラストシーンでクレオはソフィに告白する。本当は産まれて欲しくなかったのだと。おそらく、クレオはそれを認めるのが怖かったのではないだろうか。自分の責任を放棄してしまうことが。日々膨らみ続けるお腹を見つめながら、彼女は何を感じていたのだろうか。初めての出産だったのなら、名状しがたい不安と一人で戦っていたはずだ。もし、産まれたとしても父親はおらず、一人で育てていくしかない。将来に思いを馳せると頭をよぎる、そこはかとない不安。決して弱音を吐くことなく、懸命に耐え続けた彼女を思うと思わず涙がこみ上げてくる。太陽を背に、薄暮の中で抱き合う家族とクレオ——本作『ROMA』のクライマックスにして、最も美しいショットだ。

 

幼少期を視覚的に語る

アルフォンソ・キュアロンは視覚的に物語を語る映像作家だ。あまりにも自然すぎる長回しは『トゥモロー・ワールド』を凡庸なSFアクション映画から切り離した。『ゼロ・グラビティ』では、スタンリー・キューブリックとは対象的なVFXによるアプローチで、観客を深遠な宇宙空間へ連れて行った。

 

『ROMA』では盟友エマニュエル・ルベツキのスケジュールが合わず、キュアロン自ら撮影を担当している。また、本作でも長回しが効果的に使われている。『ゼロ・グラビティ』のような技工を凝らした長回しではなく、『トゥモロー・ワールド』のような仰々しい長回しでもない。アニメのPANのような、さりげない長回しが目立つ。黒澤明監督のカメラワークに近い、静的でドラマ性を高める長回しだ。

ネットフリックス ROMA

長回しを使うことで、映画の中を流れる時間は途切れることなく、観客の時間の流れとシンクロする。本作では、そんな時間の流れを巧妙に織り込んだシーンがいくつもある。オープニングのクレジットが流れる冒頭シーンでは、クレオが犬の糞を掃除するタイル張りの床が長々と映される。武術の達人が謎のポースをとる、ある種の神聖さを帯びたシーンでは背後の空を横切る飛行機が、引き伸ばされた時間の経過を表現する。このシーンでは、『劇場版 機動警察パトレイバー2』で押井守が使ったのと同じ手法で、時間を引き伸ばすことに成功している。そして、エンディングのショットもまた、青空を横切る飛行機を映し出す。

 

この永遠にも感じられる、ゆったりとした時間の流れこそ、アルフォンソ・キュアロンが幼少期に感じた時間の流れなのではないだろうか。ともすれば、本作を観る観客は幼少期のキュアロンと同化して、彼の過去を共に旅することになるのではないか。

これは、アルフォンソ・キュアロンによる現代版の『大人は判ってくれない』だったのではないだろうか。

 

おすすめ度 
作品情報

原題:Roma

監督:アルフォンソ・キュアロン(『ゼロ・グラビティ』)

脚本:アルフォンソ・キュアロン

撮影監督:アルフォンソ・キュアロン

 

編集:アルフォンソ・キュアロン

アダム・ガフ(『X-メン:ファースト・ジェネレーション』)

 

製作会社:パーティシパント・メディア / エスペラント・フィルモ

配給会社:ネットフリックス

上映時間:135分

 

制作費:15億円………*1

Imdbスコア:8.0………*2

Rotten Tomatoスコア:96………*3