Hush-Hush: Magazine

映画の批評・感想を綴る大衆紙

こんまりメソッドのブームについて思うこと

こんまりメソッド ネットフリックス

 

 

世界的に最もモノが溢れかえっている国、アメリカ。街中の至る所で広告が自己主張を繰り返す。情報端末の小型化は、アメリカ市民の生活の中にまで広告を持ち込んだ。ふとなにげなくインターネットにアクセスした途端、ユーザーはおびただしい数の広告の照射を浴びる。

 

意識的か無意識的かに関わらず、広告によって消費欲求を刺激された人々は、物の必要性を吟味する前に購入を完了させる。誰しも経験があるのではないか——どうしても必要だったわけではなかったのに、今すぐ買えるからという理由だけでAmazonの購入ボタンを押した経験が。

 

アメリカの大衆消費社会

アメリカは物質的に飽和状態にある。『KonMari ~人生がときめく片づけの魔法~』が、これほどアメリカで一大センセーションを巻き起こしているのは、アメリカ市民が無意識下で望んでいた「物を捨てる決断」を後押ししてくれたからだと思う。少し前にブームとなったZenやミニマリストのようなライフスタイルは、ムダを削るというストイックな性格を帯びていた。

 

今回ブームになっているこんまりメソッドは、ときめかないものを処分するというのがルールだ。ベルトに乗った皮下脂肪を削るかのように、自分の生活を鋭く見つめ直してムダを削るミニマリストよりも柔和な印象がある。日本人は小学生の頃から、学校で家庭で「整理整頓」と「清掃」を叩き込まれる。モノを片付ける習慣をしつけられる。アメリカ人の場合、モノを片付けるクセがないのではないか。部屋を片付けようにも、どうやって片付ければいいのか分からない——片付けるというマインドセットがないのではないだろうか。

 

アメリカにはモノが溢れかえっている。新商品が登場しても、それを表面的なデザインだけ真似た廉価版がすぐにリリースされ、そのさらに廉価版が登場するサイクルの速さたるや。こうして、見た目だけはハイブランド品と相違ない廉価版コピー商品が横行し、翌年になると次の商品が投下される。人々はハイブランド品を模した廉価版を買い求め、見た目だけでも富裕層に近づこうと躍起になる。

 

ファッションの分野はそれが顕著だ。遠目に見れば、高級品と見劣りしないような程々をわきまえた商品が、手を伸ばせば買える金額で店頭に並ぶ。隣に座れば生地の違いは明らかで、触れたときの質感は言わずもがなだが、他人は自分が思っているほどには注視していないものだ。程々の商品でも、それなりの洒脱な雰囲気は醸し出せる。

 

まぁ、こういうサイクルが高速で回転してアメリカという巨大な資本経済が回っているのだと思うのだけど、何事も行き過ぎ・やり過ぎはよくないと思う。アメリカがアフリカ諸国へ輸出する古着の量は75万トンにものぼるそうだ。(日本は24万トン。面積の違いを考慮すると、日本もアメリカのことは偉そうに言えないような……)

本を捨てることに警鐘を鳴らす小説家

ネットフリックスで配信された『KonMari ~人生がときめく片づけの魔法~』を見て、古本屋に列を成すアメリカ国民にTwitter上で警鐘を鳴らす小説家がいる

 

「不要な下着やタッパーを処分することに異論はないけど、彼女が紹介した本の処分は間違っている。どんな人も本棚は充実させるべきもの」といった主旨をツイートし、愛書家たちが次々と参戦。2万2,000人以上が彼女のツイートにLikeをしている。

 

こんまり(近藤麻理恵)さんがNetflixでブレイクし、片づけ法が日本から世界へ。そのさなかに騒動も(安部かすみ) - 個人 - Yahoo!ニュース

アメリカという外国だから、冷めた目で見てしまうのかもしれないが、この呼びかけは論点がズレているように思う。古本屋は昔から存在していたし、実店舗が縮小していく現代でもアマゾンで古本を購入できる。紙の質感に拘らないテクノロジーの尖兵たちは、Kindleで電子書籍を読んでいる。紙の本をどさっと大量に処分するのが問題なのではなく、一読してメモさえとれば再読の必要すらない皮相的な薄い内容の本を量産していることが問題なのではないか。

 

私は書店が好きだ。Kindle端末を持っていながらも、いまだにかさばって重たい紙の本を携帯するアナログな人間だ。角川文庫の特装した帯にも書いてあった、PSYCHO-PASSで槙島聖護が言ったセリフが私の読書的なイデオロギーを端的に表わしている。

 

槙島「紙の本を買いなよ。電子書籍は味気ない」
チェ「そういうもんですかねぇ?」
槙島「本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある」
チェ「調整?」


槙島「調子の悪い時に、本の内容が頭に入ってこないことがある。そういう時は、何が読書の邪魔をしているのか考える。

調子が悪い時でも、スラスラと内容が入ってくる本もある。何故そうなのか考える。精神的な調律。チューニングみたいなものかな。

調律する際大事なのは、紙に指で触れている感覚や、本をペラペラめくった時、瞬間的に脳の神経を刺激するものだ」

 

書店に平積みされた売れ筋のビジネス書を一瞥すると、曰く『10日間で〇〇できる方法』、曰く『成功者に共通する〇〇』
こういったハウツー本で溢れかえっている。まるで、万物の解決策はこの1冊の中にありますと言わんばかりだ。『思考は現実化する』『7つの習慣』『道は開ける』のように内容の濃い実用書も混じっているのだが、いかんせん大半はメモ書き10ページで済むような本ばかりだ。

 

どこかの本に書いてあった言葉を思い出す——本の中でも本当に必要なのは全体の20%程度だと。(言葉だけメモして書籍の名前を書き忘れしまった。たしか『考具』だったと思う。)

 

そもそも、たった数日間でそれなりの練度に達するほど人生はノーマルモードではない。人生はいつだってハードモードだ。たった数冊、絵の描き方のハウツー本を読めば大友克洋さんのようにカッコいい線が描けるようになるわけではない。大西泰斗さんの本を数冊読んだ程度でTOEICが8割取れるほどに、人生はイージーモードじゃない。

 

多くの人は心の奥底で気付いているはずだ。手っ取り早く成果が上がるハウツーなんて存在しないことを。それを認めたくない理性と、心のどこかで一縷の希望を抱いている感性が拮抗して、甘言を囁くタイトルに手を伸ばしてしまう。

 

何日も何十日も地味な反復練習、基礎トレーニングの繰り返し。その積み重ねのみが勝利を引き寄せる


庄司軍平

アイシールド21 98話『デビルバットゴースト』

 

アイシールド21に出てくるこのセリフがすべてを代弁してくれている。地道な反復練習が最も遠いように思えて、その実もっとも近道なのだ。心にときめかなかった本たちをどっさり抱え込んで古本屋に押しかけるアメリカ国民に言いたい——タイトルだけに惹かれてポチってしまった本を買うお金で、文学を読もうと。小説こそ、生きながらにして何人もの人生を追体験できる疑似体験の迷路だ。