Hush-Hush: Magazine

映画の批評・感想を綴る大衆紙

『ジョーカー』は2019年ベスト映画だ!

映画『ジョーカー』

 
世界各国の映画祭で喝采を浴び、一足先に試写会で観た人々が度肝を抜かれ、かつてないほどの期待と熱狂の最中で満を持して公開された『ジョーカー』

期待値の高い映画あるあるとして、実際観てみたら肩透かしを喰らわされたというのがセオリーとしてあるのだけれど、ところがどっこい

 

こいつはすごい。
これは決して誇張ではない。近年公開された映画の中でも群を抜く、極めて「アブない」映画。そう、例えるなら極限まで磨かれた日本刀のような切れ味。観客の心を、期待を、DC映画の定石を容赦なく打ち砕く。

 

まだ2019年は3ヶ月ほど残っているけれど、Hush-Hush: Magazineは大胆にも今年のベスト映画を『ジョーカー』に捧げようと思う。

 

いいか諸君、繰り返し言おう。
『ジョーカー』は 今年公開された映画の中で間違いなくダントツの1位であると。

 

Spoiler Warning——ネタバレを含みます

 

リアル路線への回帰

 

映画『ジョーカー』

©2019 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED TM & ©DC COMICS

 

『アベンジャーズ エンドゲーム』の観客動員数が350万人に到達し、ヒーロー映画がエンタメの潮流となった2019年。鳴かず飛ばずだった『スーパーマンvsバットマン』、アベンジャーズを意識しまくりで大コケした『ジャスティス・リーグ』と、マーベルの後塵を拝するDCコミック。

 

『ダークナイト』で世界中にバットマン旋風が巻き起こったのは、かれこれ10年も前の話。そこでDCは考えた。


「ヒーローをアッセンブルさせても勝ち目はない。だったら、従来通りのリアル路線に戻してみよう」と。

 

そうだ。かつて『グラフィック・ノベル』というジャンルを打ち立て、「アメコミは大人が読んでもいいもの」だという新たな認識を作り出したのはDCコミックスだった。DCのファンたちが待ち望んでいるのは、リアルにして硬派なストーリー。コミックでありながら、ポップさの欠片もないようなシリアス路線のストーリーを望んでいるのだ。

 

かつて、『ダークナイト』においてクリストファー・ノーランは、「もし現実世界にバットマンなる自警団が存在したとしたら、そこではどんな事が起きるだろうか?」と考えた。

 

『ジョーカー』でトッド・フィリップス監督がとった路線もまさにノーランと同じで、「もし、現実にジョーカーなる狂人がいたとしたら、彼はどうやって生まれたのだろうか」──アメコミ史上最凶にして最も魅力的なヴィラン。彼の起源(オリジン)をリアルに描く。これこそ、トッド・フィリップス監督の思惑だった。

 

狂人の誕生をリアルに描くにあたって、監督が参考にしたのは『タクシードライバー』と『キングオブコメディ』。どちらも、巨匠マーティン・スコセッシとロバート・デニーロのタッグで生み出された名作である。ベトナム戦争から帰還し、タクシードライバーとして細々と食いつないでいる主人公が、徐々に狂気に溺れていく様は『ジョーカー』で描かれた狂気の萌芽そのものである。

 

「俺に用か?(Are you talking to me)」は、映画の名台詞として今なおランキング入りを果たすほどの人気っぷり。そんな名ゼリフを生み出したデニーロに敬意を表してか、『ジョーカー』でもデニーロが出演している。

 

生活の息遣いを感じるリアルなゴッサム

映画『ジョーカー』

©2019 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED TM & ©DC COMICS

『ジョーカー』で描かれるゴッサムシティはリアルだ。『ダークナイト』ではシカゴを模した街として描かれたゴッサムシティ。ティム・バートン版ではコテコテのセットで、コミック版の世界観を完全に再現した。そして、『ジョーカー』で登場するゴッサムシティはというと、往年のNYを彷彿とさせる廃れた空気が漂う街なのだ。

 

ニュースラジオの音声とともに、映画は幕を開ける。『ジョーカー』では本編の随所でこのラジオが流れている。ラジオの内容と言えば、労働組合のストライキやら、汚水の話題などストーリーとは直接関係のない話ばかりなのだけれど、このラジオが世界観に奥行きを与えている。

カメラには直接映り込まない市井の人々の息遣いや、街の様子。そういったものの数々が、ラジオによって語られる。

 

ゴッサムがリアルなのはこれだけじゃない。デニーロ演じるマレー・フランクリンのコメディ番組。それを母親と共に眺めるアーサー。この構図がリアルじゃないか。


薄汚れた部屋の中、夕食後にブラウン管の画面を眺める親子。画面では人気のコメディアンが軽快なジョークを連発し、画面の外からは観客の哄笑が聞こえる。20世紀には当たり前だったこの生活感が、アーサーという売れない道化師の日常にリアリティを与えている。

 

アーサーが乗る地下鉄は、かつてのNYらしく落書きだらけで薄汚れているし、街の路地裏にはゴミが積み上がっている。この廃退的で薄汚れた感じがたまらなくリアル。かつて『ブレードランナー』でリドリー・スコットが創り出した、うらびれた未来都市と共通する部分がある。

 

アーサーが地下鉄でウェイン産業の社員を銃殺したと思えば、新聞では事件の様子が大々的に報じられる。そして、その新聞が売られている屋台と、支配階級を憎むスラム街の人々。こういったディテールが、ゴッサムシティの息吹となって『ジョーカー』の世界観にリアリティを与えているのだ。

 

ジョーカーというキャラクター

 

映画『ジョーカー』

©2019 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED TM & ©DC COMICS

 

おそらくジョーカーほど魅力的な悪役はいないだろう。あの手この手でバットマンを苦しめ、狂気そのものを体現した諸悪の根源。それでありながら、DCファンはジョーカーに魅了される。

「なんてクールな奴なんだ!」──バットマンを応援しておきながら、影ではこっそりジョーカーの無法っぷりに羨望の眼差しを向けたりもする。

 

だからこそ、ゲーム版『バットマン アーカム・シティ』で死んでしまったジョーカーを抱きかかえてバットマンが工場を後にするとき、ファンたちは感涙するのである。

 

ジョーカーの起源には諸説ある。危険な化学物質の中へ没したというのは変わらないけれど、そこへ至るまでのプロセスがどれも微妙に違っている。


レッドフードとしてバットマンの追跡から逃げている途中で化学薬品のタンクに落ちたり、妊娠した妻を持つしがないコメディアンだったり、この妻が汚職警官によって殺害されていたりと、原作の『バットマン』のエピソードによってバラつきが見られる。

 

『ダークナイト』では、そういった設定を逆手にとって「血液型、指紋、経歴など一切不明」とした上で「混沌(カオス)から生まれた男」としてジョーカーを再定義した。『ダークナイト』におけるジョーカーはシンプルこの上ない。動機は単純で「楽しいからやる」──この子供じみた動機ゆえに次に何をするのか予測がつかない。だからこそ、自ら定めたルールに厳格に従って行動するバットマンは、ジョーカーに苦戦を強いられる。

 

そして、本作『ジョーカー』で描かれるジョーカーのオリジンは限りなくリアルだ。売れない道化師。病に倒れる母と二人暮らしで、孤独な毎日を送っている。一見するとどこにでもいそうな普通の男。心に影を持った孤独な男。そんな普通の男が、次第に狂気に染まっていく様は真に迫っていて説得力がある。ラストシーンでジョーカーとしてコメディ番組に出演したときには、すでにジョーカーという最恐のヴィランが誕生している。

 

ホアキン、あんたすげぇよ

 

映画『ジョーカー』

©2019 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED TM & ©DC COMICS

 

これまで様々な俳優たちが、ジョーカーという悪役を怪演してきた。ティム・バートン版『バットマン』でコミカルながらも恐ろしいジョーカーを演じたジャック・ニコルソンは、『ダークナイト』でオスカーに輝いた故ヒース・レジャーにこう助言したと言う──「気をつけろよ、狂気に飲み込まれるんじゃないぞ」

 

混沌の中にひっそりと佇む犯罪の帝王。この厨二くさい設定を有無も言わさず納得させるだけの狂気。ジョーカーを演じるには、この狂気こそがエネルギー源となる。

 

ポール・トーマス・アンダーソン監督『マスター』でカルト団体の一員を演じたホアキン・フェニックス。どこか精神的に破綻している危ない男という点では『ジョーカー』と同じだが、本作と決定的に違うのは「狂気の濃さ」である。

 

ストレスを感じると突然笑いがこみ上げるアーサー。特定の病名があるわけではなく、うつ病を患っていると起こりうる症状らしい

 


この笑う演技がホントにすごい。本編を通してずっと笑ってるアーサー。意図せずして込み上げてくる笑いをこうもリアルに演じれるもんなのかと感嘆の念を禁じ得ない。

 

中でも、道化師の派遣会社のシーンで上司に呼ばれて行く場面では、廊下を歩きながらすっと笑いが引いていくという演技なのだけれど、これがホントに怖い
後に開花する狂気の片鱗を窺わせる、今にも壊れそうな危険な男をリアルに表現している。

 

アーサーに拳銃を与えた元同僚の男ランドルをハサミで刺し殺す場面。このためらいの無さも恐ろしいんだけれど、それ以上に狂気じみているのはハサミが突き刺さったランドルの頭を何度も壁に打ち付ける場面。顔を思いっきり振りながら、頭を壁にぶつける動作の恐ろしさったらもう……

 

まるで実際の殺人現場を目撃しているような気分になるほどリアルで恐ろしい。大抵の映画の殺害シーンなんて、どこか過剰に演出されていて「どうせフィクションだから」という安心できるラインが引かれているのだけれど、『ジョーカー』にはそれが無い。本当にただひたすらに恐ろしい。

 

個性的な俳優だとか、そういった手垢のついた表現では言い表せないほど『ジョーカー』のホアキン・フェニックスはすごかった。狂人を演じれば右に出るものはいないジェイク・ギレンホールもびっくりなくらい、本当に怖い

 

次第に開花していく狂気

映画『ジョーカー』

©2019 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED TM & ©DC COMICS

売れないコメディアンがいかにしてジョーカーとなったのか──『ジョーカー』で描かれるのは、その起源である。

 

80年代のワーナーブラザーズのロゴ、キャッチーなオープニングクレジットと続いてようやく姿を現したのは電気店で閉店セールの呼び込みをする一人のピエロ。悪ガキ達に看板を奪われ、無抵抗のところを滅多打ちにされて道路にうずくまるピエロ。そこへでかでかと表示されるタイトルバック。まるで『理由なき反抗』のジェームズ・ディーンのような始まり方である。

 

バットマンを苦しめる悪の帝王とは程遠い弱者の姿──多くの人が思い描くジョーカー像とはかけ離れた惨めな姿。これこそがジョーカーの原型となるアーサー・フレックである。

 

薄汚れた部屋で母親とコメディ番組を観て、憧れのマレー・フランクリンに気に入られる様子を妄想する孤独な男。エレベーターで出会った同階に住む女性へ一方的に心を寄せては妄想に浸る。まるで『タクシードライバー』のトラビスと同じだ。

 

おそらく、そのオマージュだろうけど、エレベーターの中で女性が指で銃を作ってこめかみに当てる仕草は、『タクシードライバー』のラストシーンと同じ。しかも、クライマックスになって、女性の部屋へ勝手に入り込んだシーンで、彼女と過ごした時間がアーサーの妄想だったと判明する。

 

同僚の男から拳銃を受け取り、それがきっかけで道化師の仕事をクビになったアーサーは、地下鉄でウェイン産業の社員を3人射殺する。しかも、同僚はアーサーを見放して自分をかばった。


列車内の電灯が明滅し、非現実的なほど頻繁に列車が通過し、「これから起こる何か」を予感させる。この演出がまた素晴らしい。

 

その後駆け込んだトイレの中で、一人恍惚に浸るアーサー。彼の中で「何か」が外れた瞬間だった。

 

支配階級の3人を殺したアーサーは、ピエロのマスクと共に英雄として報じられる。その様子を見て満足げなアーサー。

 

その後も、トーマス・ウェインと会って母を罵られたり、マレー・フランクリンから自分のジョークを嘲笑されたり、定期的に通っていた診療所が閉鎖されたりとアーサーの心はズタボロになっていく一方

 

そして、アーカム市立病院で母親の過去を知った瞬間、アーサーの中で「最後の一線」が立ち消えた。「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸に、アーサーはコメディアンを目指してきた。だが、今やその基盤となっていた言葉すら崩壊してしまった。自身のアイデンティティを見失ったアーサーは、遂に狂気一色に染まっていく。

 

失うものが何もなくなった男ほど怖いものはない。
「人生以上に硬貨な死を望む」──ノートに書き綴った渾身のジョークは、まるでジョーカー本人を言い表したかのようにも思える。

 

そして、マレー・フランクリンをTVで射殺したアーサーは、「ジョーカー」となる。

 

孤独、不安、精神病、凄惨な過去、理不尽な仕打ちの数々、世間から見放され堕ちていくだけの人生──これら諸々の要素が積み重なって、「ジョーカー」という怪物が誕生した。

 

何か1つが決定打となってジョーカーが生まれたわけではない。これら全てが積み重なった結果、ジョーカーが生まれたのだ。

 

ラストシーンの意味

 

そして、気になるのがラストシーン。


病院のようなところで監禁されているアーサー。高笑いするアーサーに向かって、女医が尋ねる。「何がそんなに面白いの?」


アーサーは答える「いや、ちょっとね。ジョークを思いついたんだ。君には理解できないだろうけど」


そして、廊下を歩み去っていくアーサー。その足元には血が垂れている。おそらく女医を殺したのだろう。

 

これは一体どういうことなのか?

 

そもそも『ジョーカー』のストーリー全体が、『ビューティフル・マインド』と同じく幻覚の部分と現実の部分がない交ぜになって描かれていて、その線引きがあえて曖昧にされている。したがって、どの部分が現実で、どの部分がアーサーの妄想なのか非常に分かりにくい。

 

結局、アーサーの母親が本当にウェイン家に勤めていたのかも疑問が残る。ともすれば、ウェイン邸の門前でアルフレッドらしき人物が見せた態度は何なのか。あたかも、アーサーの母親を知っていたと言わんばかりの口ぶりだった。

 

それから、トーマス・ウェインの態度も気になる。そもそも、アーサーの母親の経歴を見る限り、絶対あんな人雇おうと思わないんじゃないか。ということは、アーサーの母親を知っていたような口ぶりは、アーサーの妄想だったということになるわけだ。

 

そして、冒頭のシーンで同じ女医がアーサーに向かって「昔、病院に入ってたんでしょ?」と尋ねる場面がある。この「病院」というのが、ラストシーンのことを示しているのだとすれば、アーサーの足元に垂れていた血が説明できなくなる。女医を殺してしまえば、冒頭で同じ女医が出てくるはずがないからだ。

 

おそらく、『ユージャル・サスペクツ』と同じ構造で、映画の中で現実のシーンはこの最後のシーンだけなのだろう。女医と面談している最中に思いついたアーサーのジョーク。それが、2時間かけて描かれた中身だったという壮大なオチ。

 

面談の後、女医を殺して病院を脱走したアーサーは、そのままジョーカーとなる。彼には元々、ジョーカーの素質があった。そう考える方が辻褄が合う。廊下の一番奥まで行った先で、歓喜したように走り回っている様はまさにジョーカーの仕草そのものだ。

 

クライマックスで、今や伝説となった「バットマン誕生」のシーンもしっかり描かれているのは最高のファンサービスだろう。ジョーカーを生み出す一因を作ったのはトーマス・ウェインだが、バットマンを生み出す間接的な要因となったのもまたジョーカーだったという素晴らしくひねりの効いた構造。

 

うん、やっぱり今年ベスト映画だわ。

 

 

Hush-Hush:殿堂入り作品!

 

おすすめ度 

 

作品情報

原題:Joker

監督:トッド・フィリップス『ハングーオーバー』

脚本:トッド・フィリップス / スコット・シルバー『ファイター』

撮影監督:ローレンス・シャー『ハングオーバー』

音楽:ヒドゥル・グドナドッティル『ボーダーライン: ソルジャーズ・デイ』

製作会社:ヴィレッジ・ロードショー・ピクチャーズ

配給会社:ワーナー・ブラザース

上映時間:122分

制作費:55億円………*1

Imdbスコア:9.0………*2

Rotten Tomatoスコア:69………*3

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*2:2019/10/7時点

*3:2019/10/7時点