Hush-Hush: Magazine

映画の批評・感想を綴る大衆紙

ブラック・ミラー:シーズン5 ネトフリの人気シリーズがパワーアップして帰ってきた

ブラック・ミラー シーズン5

 

 

Spoiler Warning——ネタバレを含みます

 

ひねりの効いたストーリーと、現代から地続きになった近未来感がクセになる『ブラック・ミラー』シリーズ。前作『バンダースナッチ』では、劇中劇とゲーム要素を組み合わせて実験的なストーリーを展開してみせた。今シーズンでは、アベンジャーズシリーズのアンソニー・マッキーや、アメリカの人気歌手マイリー・サイラスが出演しており、ネットフリックスの意気込みがうかがえる。

 

シーズンを重ねるにつれて、予算は潤沢さを増し、作品全体としての華やかさは申し分ない域に達しているのだけれど、ストーリー的な興奮度はシーズン3あたりがピークだったような気がする。シーズン5も概観としては面白かったけれど、ストーリーは以前のような鋭さが鈍った印象を受けた。

 

とは言いつつも、公開から2日で一気に観てしまったのだけれど。

 

ストライキング・バイパーズ

 

シーズン5の中では、私が最も心打たれた作品が『ストライキング・バイパーズ』だ。

 

なんてったって、美しい。

綺麗なのよ。ふつくしいのよ。


映像面はさることながら、描いているテーマが美しい。

 

VRゲームを題材にしたエピソードは、過去のシリーズでも登場している。だが、今作が過去のエピソードと一線を画しているのは、作品の根底に流れるテーマ性だ。

 

ストライキング・ヴァイパーズは、VRゲームという題材の中に「愛とセックス」という人間的なテーマをぶち込んだ。これはブラック・ミラーシリーズ全般に共通することだけど、最先端のテクノロジーを描きながら、体温が感じられる普遍的なテーマを描くという点において、本シリーズは凡百のドラマシリーズから頭一つ抜き出ている。

 

ブラック・ミラー : ストライキング・ヴァイパーズ

© 2019 Netflix

冒頭のシーンで、主人公の男(ダニー)とそのガールフレンド、親友(カール)の3人が同じ屋根の下で青春を謳歌する様子が描かれる。次のシーンでは一気に数年を跳躍し、主人公の環境が大きく変化していることが示される。

 

ガールフレンドと結婚して子供を授かり、今は従容とした生活を送っているダニー。仕事があるのもお構い無しで、夜通し格闘ゲーム『ストライキング・ヴァイパーズ』に熱中していた頃の奔放さはどこにもない。メガネの奥から思慮深い視線を投げかけるダニーは、38歳の誕生日を迎えた。

 

郊外の住宅街に豪奢な家を構え、妻と子供に恵まれ、生活は安定しているように見える。だが、自身の誕生パーティーにも関わらず、虚空を見つめて考えに耽るダニーの心には、ぽっかりとした穴が空いていた。満ち足りた生活を送っているはずなのに、一向に満たされない「何か」—————その正体が何なのか、ダニー自身は気付いていない。

 

そんな折に、親友カールが誕生日パーティーに現れる。かつて2人が寝食も忘れ、血道をあげていた格闘ゲーム『ストライキング・ヴァイパーズ』の最新作を携えて。この最新作は、VRデバイスを接続して、ゲーム内のあらゆる感覚を再現できるという優れもの。最初は敬遠していたダニーだが、カールの猛烈な誘いに屈し、ついにゲームを起動させてしまう。

 

ブラック・ミラー : ストライキング・ヴァイパーズ

© 2019 Netflix

 

最初こそ、格闘ゲームらしくパンチやらキック、コンボ技から投げ技まで、あらゆる手段で相手を痛めつけていたが、次第に雲行きが怪しくなってくる。カールの操る女キャラ「ロクセット」が、ダニーにキスを迫るあたりから作品の雰囲気は一変する。

 

そうだ、『ストライキング・ヴァイパーズ』は『鉄拳』ばりの格ゲー愛にあふれた作品ではなく、「愛とセックス」がテーマの人間的な作品だったのだ。

 

原作者のチャーリー・ブルッカーも認めているけれど、『ストライキング・ヴァイパーズ』のモチーフは現代のドラッグとも揶揄されるほどの高い中毒性をほこる「ポルノコンテンツ」である。

 

主人公のダニーは、妻を愛していながら心中でわだかまる性欲の衝動を抑えきれずにいる。その衝動が、VR空間という仮想現実で、外部から隔絶された安全性も手伝って爆発したのだ。街中で若い女性を見かける度に、ダニーの胸内で欲望がざわめく。現実空間ならば、かろうじて理性が歯止めをかけているけれど、仮想現実ではそのストッパーが外れてしまう。

 

最初は、いくら仮想現実といえども操っているプレイヤー、親友カールの姿を想像して拒否反応を示していたダニーだが、自らの欲望に敗れて一線を超えてしまう。そして、一度味をしめたが最後、泥沼にとらわれたかのように、ずるずると欲望の世界に引き込まれていってしまう。

 

自分でも後ろめたさは感じているのか、VRゲームにログインするのは必ず妻のいない時だ。中でも、印象的だったのは妻が寝静まった後、ドアの取っ手に椅子をかませてロックした状態でVR空間の情事にふけるシーンだ。まさに、ポルノ動画で自らを慰める健全な高校生男子の構図である。

 

過度な性的刺激で視聴者を陶酔させるポルノコンテンツは、まさに現代のドラッグである。タバコやアルコール、ギャンブルなど、依存の形はそれぞれあるけれど、ポルノだって立派な依存のよすがになり得るのである。一昔前なら、公園に落ちている成人雑誌を拾っては悦に入っていたけれど、今やそれよりも過激なコンテンツが手に収まる携帯デバイスで閲覧できる時代である。

 

かくいう私も、タバコとアルコールとカフェインに依存しているし、かつては重度のネトゲ依存症だった。依存の対象は異なれど、依存状態にある人の心理状態は何らかの欠陥を抱えている。過度のストレスやら、本人の性格的な問題やら、家庭・職場の環境やらその理由は様々だが、どこにもやり場のない焦燥や不安・孤独を抱えているのだ。そのはけ口が、本作の主人公:ダニーの場合、たまたまVR空間のポルノだったというわけだ。

 

多くの依存症がそうであるように、ダニーの場合も一度深みにハマったが最後、抜け出すのは容易ではない。VR空間での逢瀬を重ねていくうちに、ダニーはVRゲームを断とうと決心する。デバイスを棚の奥にしまい込み、カールとの連絡を断つ。

 

理性は依存の対象を断とうとしても、身体と欲望はそれを渇望している。ダニーの場合も同じで、理性と欲求の板挟みに苛まれることになる。職場でカールにメールを打つ場面では、最後にキスマーク(X)をつけるか否か、激しい葛藤に苛まれる。果たして、自分が愛しているのはカールなのか、それともカールの駆るロクセットなのか。この内面の葛藤が、じつにリアルだ。

 

ブラック・ミラー : ストライキング・ヴァイパーズ

© 2019 Netflix

 

『ストライキング・ヴァイパーズ』が素晴らしいのは、この内的な葛藤にフォーカスを当てて描ききった点にある。通常の映画にするには、あまりにも静かで地味な葛藤を、大胆にも作品のメインに据えて描ききったのである。1時間弱という中尺だからこそ成立するストーリーなのだ。

 

そして、この内面の激しい葛藤と自己嫌悪をセリフに頼らず、表情のみで演じきったアンソニー・マッキーの演技もまた素晴らしい。俗に言う「名演技」とは、セリフに頼らずに表情や背中、佇まいで何かを語れる能力を指す。今作のアンソニー・マッキーは、まさにその「名演技」をやってのけた。『アベンジャーズ』シリーズの俳優という肩書は伊達じゃなかった。

 

また、親友役のヤーヤ・アブドゥル・マティーン2世の演技もまた、遜色なくうまいのだ。表面的には「理想の家庭」を築いているダニーに対して、カールはというとデートアプリで取っ替え引っ替え女性とベッドインする日々を送っている。次々と女性をモノにするカールの手腕は天才的だと思うが、それはさておき…………

 

どれだけ情事にふけっても、いくら違う女性と寝ても、カールの心は満たされない。ダニーと同じく、一度至高の体験をしてしまったら最後、他の手段では自らの欲望を満たせない体質になってしまったのだ。

 

呆然とピンボールゲームに興じるも、自己嫌悪に陥ってやり場のない欲求を持て余す。挙句の果てには、猫まで描い始める始末。独身男性が部屋で猫を書い始めるということは、生涯独身宣言を誓ったのに等しい。

 

そしてストーリーは終盤を迎え、ダニーとカールは現実世界でもVR空間と同じ性的興奮が起こるか確認しようと試みる。おずおずとカールと唇を重ねるダニー。このあたりはLGBTQモノの匂いも漂わせていて、地味で静的なストーリーに現代的なテイストを付加していた。だが、案の定で矢吹ジョー、VR空間で味わったあの興奮は再現できなかった。

 

ついには取っ組み合いの喧嘩に発展し、運悪く巡回中の警察に現場を差し押さえられる。そして、言い逃れができなくなったダニーは、妻にVR空間での秘密を打ち明ける。

 

そして迎える、感動的なラストシーン。

 

ブラック・ミラー:ストライキング・ヴァイパーズ

© 2019 Netflix

 

ダニーは更に齢を重ねて、39歳の誕生パーティーを迎えた。誕生日プレゼントとして、小包を渡されるダニー。新しい指輪かアクセサリーかと思いきや、開けてみるとVRデバイスではないか。

 

そして、妻はというと、結婚指輪を外して独身女性を演じながら、バーで声をかけられるのを待っている。ダニーはVRデバイスを接続してカール(ロクセット)との情事を愉しむ。

 

1日だけ、お互いがお互いに自由を謳歌する。じつにスマートな解決方法ではないか。カールのカレンダーに書き込まれた印が、哀愁を誘う。葛藤と苦悩の末に、夫婦が導き出した結論————愛とセックスは別物だということ。

 

ダニーは妻を愛している。彼女の要望どおり、2人目の子供ももうけた。だが、それとこれとは別物なのだ。アメリカ的で合理的な結論だと思う。日本では「セフレ」と言われるそれは、アメリカでは「セックス・パートナー」と表現される。「パートナー」というあたりが、じつにアメリカ的である。

 

そして、最後のショットでは、ダニーとカールがアジアンテイストな街並みを背景に思う存分愛し合う様子が描かれる。なんとも情感的で美しいショットである。

 

 

待つ男

 

映画評価サイトImdbでは、シーズン5の中で最も高評価を獲得したエピソード。

 

Uberを彷彿とさせる配車サービスのドライバーを務める男が、暴走していくストーリー。狂気をはらんだ危険な男:クリスを『シャーロック』シリーズのモリアーティ役、アンドリュー・スコットが怪演している。ちなみに、音楽を手がけているのは日本が誇る作曲家、坂本龍一である点も見逃せない。

 

SNS会社「スミザリン」の前で、ひたすらに客を待つクリス。ぷらっと立ち寄ったカフェでSNSに夢中の客を見て、あからさまに軽蔑の目を向ける主人公の男は、何らかの理由でSNSを毛嫌いしている様子。

 

ほどなくして、クリスは「スミザリン」の社員を拉致し、銃で脅す。だが、当初の彼の予想に反し、社員だと思って誘拐した人物は、しがないインターンだった。この事実が明らかになった時の取り乱し様が、狂気以外の何物でもない。この狂人的な焦燥感を見事に表現したアンドリュー・スコットの演技がこれまた凄い

 

ブラック・ミラー:待つ男

© 2019 Netflix

 

プレッシャーに弱く、強迫観念めいた焦りで自らを追い詰める狂人の様子は、戦慄するというよりむしろ笑いを誘う。アンドリュー・スコットのチャップリン的な大仰さの伴った怪演は、スリラーを通し越してコメディの域に達している。まさに怒り狂ったジェームズ・モリアーティーそのものである。ただ恐ろしい狂人ではなく、どこか魅力的で人好きのする人物として映るのだ。リアリティーのある狂人を演じると右に出る者がいないジェイク・ギレンホールとは大違いである。

 

心に何らかのトラウマを抱えている様子の主人公は、人質と引き換えに大手SNS企業「スミザリン」のCEOと話したいと申し出る。警察のネゴシエーターやら、「スミザリン」のCOO(最高執行責任者)など意に介さず、CEOにしか話したくないという強情っぷり。

 

COOがアジア人だったり、CEOのビリー・バウアーが瞑想を日課にしていたりと、細かい描写がいかにもシリコンバレー的なリアリティーに富んでいる。ちなみに、ビリー・バウアーは前作『バンダースナッチ』のエンディングでも登場している。いくつか用意されたエンディングの1つで、TVのニュースがビリー・バウアーが逮捕されたと報じているのだ。

 

ブラック・ミラー:待つ男

© 2019 Netflix

ビリー・バウアーのモデルは言わずもがな、かのマーク・ザッカーバーグである。


「俺は極たまにゴッドモードを発動できるんだ(ドヤ顔)」
とか言っちゃうあたりが、じつにテック企業っぽいではないか。

 

CEOが世間の塵埃を払う「瞑想期間」に突入していることを理由に、自分たちでクリスの身辺調査を開始する「スミザリン」の幹部たち。FBIにも劣らない情報収集能力は、巨大SNS企業の集権的な一面をシニカルに描き出す。スマホのマイクを使って車内の音を収集したり、SNSの交友関係から身辺を洗い出したりと、「スミザリン」の幹部達はいとも簡単にクリスのプロファイルをやってのける。

 

いまどきの10代は、1日に80分以上もの時間をSNSに費やしているという。これだけ膨大な時間をSNSに費やしているということは、裏返せば十分すぎるほどの個人情報をSNSに提供しているということだ。現実に、アメリカの警察では「情報分析官」なる役職があって、容疑者のソーシャル情報などを含むネット情報を分析しているのだそう。

 

SNSはリアルタイムで進行する。昼夜を問わず、私たちが現実世界を生きている間にも事態は進行し、反応が帰ってくる。先日読んだ記事で「スマートフォンはスロットマシンと同じだ」と書いてあった。スマホの画面を見るたびに、ロック画面には新着の通知が示され、私たちは無意識のうちにそれらの通知を待ち望んでいるというのだ。

 

別の記事では、「人間の注意力は数秒で低下する」と書いてあった。新着情報を知らせるスマホのプッシュ通知————時間にして僅か数秒で、私たちの注意力はあっけなく低下してしまう。

 

本作の主人公、クリスの場合もこの例に漏れず、たった数秒の通知で最愛の妻を亡くしてしまったのだ。他愛ないプライベートな写真に「いいね」が付いた————べつに今すぐ確認する必要もない、ノイズ的な通知によって事故に巻き込まれてしまったのである。

 

ブラック・ミラー:待つ男

© 2019 Netflix

ストーリーが終盤に差し掛かって、クリスのトラウマが明らかになった時、序盤での伏線が回収される。

 

冒頭でクリスが出席していたグループセラピーがそれにあたる。近親者を亡くした人々が集うセラピーにクリスも出席しており、そこで知り合った女性に同情していた、あのシーンである。

 

ここに至って、観客は本エピソードの真髄を理解する。これは単なるサスペンス・スリラーなどではなく、自らの過ちを許せない孤独な男による告解なのだと。

 

冒頭のグループセラピーでは、参加者の話にただ耳を傾けているだけのクリスだったが、スミザリンのCEOが相手なら自らの罪を告白できると考えたのだ。いわば、教会の個室というプライベートが保証された空間で、神父という絶対的な聴き役を相手に自らの過ちを告白するのと同じである。

 

あまりにも自責の念が強すぎるクリスは、誰にも打ち明けられずに1人で苦しんでいたのだ。事の真相を知ったCEO:ビリー・バウアーの対応は、まるで教会の神父のごとく人間的で慈しみに溢れている。最初こそお仕着せのマニュアルに従って対応していたが、最後は1人の人間としてクリスと向き合うことを選ぶ。

 

そして、告解を終えたクリスは自らの罰を受け入れる。せめても償いとして、セラピーで知り合った女性に娘のSNSアカウントのパスワードを教えてやるというのが憎い演出だ。娘に関連する単語をリスト化し、総当たりで調べていたセラピーの女性だったが、正解はすぐ目の前にあった。家族で旅行した時の思い出の中に、パスワードは隠れていたのだ。仲睦まじく写った親子写真の背後、写り込んだ船体に書かれた数列の中に。

 

ブラック・ミラー:待つ男

© 2019 Netflix

何とも感動的なエンディングではないか。クリスの死と、正解のパスワードを同時にクロスカッティングで見せるという感動のダブルパンチが、観客の胸をかきむしる。

 

アシュリー・トゥー

 

比較的シリアスな作品が多い『ブラック・ミラー』シリーズでは珍しく、ややポップな趣のある作品。アメリカで人気の歌手マイリー・サイラスを主演に据えて、近年人気を博している「Vチューバー」を材に取り、エンタメ色の強いアクションコメディに仕上がっている。

 

大人気の歌手アシュリー・オーにぞっこんな少女(レイチェル)が主人公。ポジティブシンキング丸出しなポップ路線(言いかえれば商業路線)の楽曲をリリースし続けるアシュリーは、ほぼ間違いなくアリアナ・グランデがモデル。検証のほどは定かではないけれど、レイチェルの部屋を埋め尽くす写真の中にアリアナ・グランデらしき人物が映っているのだとか。

 

シニシストの私としては、ポジティブ全開で「やればできる」をマントラのように唱えるレイチェルよりも、心に傷を抱えた姉:ジャックの方に惹かれるのだけれど、そうは言ってもポジティブ少女レイチェルが主人公なのだから、甘んじて受け入れるしかない。『ベルばら』でいうと、オスカルに惹かれるのと同じ理屈だと思う。

 

レイチェルは、転入したばかりで学校に馴染めず、内向的な性格も相まって周囲から孤立している。そんな彼女の心の支えは、「前向きに行こうぜ」的な無責任極まりない曲を歌いあげるアシュリー・オー。iPodの白いイヤホンは今やファッション・アイコンと化したけれど、群衆の最中にあってイヤホンをつける理由は1つしかない————周囲から隔絶されたいからに他ならない。

 

「Leave me alone.(放っておいてよ)」オーラ全開の時、人は往々にしてイヤホンで周囲を威嚇する。レイチェルの場合も同じで、学校の食堂であってもお構いなしにイヤホンで自分の世界に浸りこむ。家に帰れば、同じくヘッドホンで武装したパンク感MAXな姉貴が、エアギター一歩手前の煮え切らない演奏を垂れ流している。

 

父親はネズミ駆除に人生を捧げる熱い漢。一度のめり込むと周囲が見えなくなる天才タイプで、連日連夜地下室に籠もって「ネズミに優しいネズミ駆除」(矛盾しとるがな!)を研究している。個人的には、こういう変人タイプの人間は嫌いじゃない。

 

父は仕事に熱中しすぎて、すぐに周りが見えなくなるけれど、心根は優しい父親だ。食卓のシーンでは、姉から妹の誕生日プレゼントについて言及され、さも覚えていましたと言わんばかりの居直り具合で「OK。何か考えとく」と言ってのける。

 

ブラック・ミラー:アシュリー・トゥー

© 2019 Netflix

 

かくして、レイチェルの誕生日には彼女の希望通り「アシュリー・トゥー」がやってくることになる。実在の人物の肉声から自然な音声をつくりあげるシステムは、「初音ミク」が連想されるし、AIを搭載したロボットという点では「LOVOT」が思い起こされる。

 

塞ぎがちだったレイチェルは、アシュリー・トゥーの威を借りて学芸会に出演することを決意する。アシュリーのダンスをマスターするべく、『トップをねらえ』のごとく連日連夜タフな練習に精を出す。アシュリー・トゥーに夢中になって、周囲のことなど目に入らないレイチェルを案じたジャックは、母親的なお節介を焼いてアシュリー・トゥーを屋根裏部屋に隠してしまう。

 

果たせるかな、姉妹間は瞋恚の炎に包まれる。「アシュリーを返せ」と怒り狂うレイチェル。どこか間の抜けた父親と、目の離せない妹――――2人を見守る姉は、亡くなった母の名代を務めなければという義務感に突き動かされている。だが、母親と子供の関係が近すぎるが故に互いを傷つけ合うように、レイチェルもまた姉の弱点を容赦なく攻撃して反抗する。

 

「あんたはヘッドフォンでロックを聴きながら、下手くそなギターを弾いてるだけ。あたしは皆の前で踊ったけど、あんたは人前に出る勇気がないのよ」

 

自身の最大の弱みを容赦なく踏みつけられたジャック。さらなる追い打ちをかけるようにして、レイチェルは一言も話さないという「塩対応」に出る。これにはさすがのジャックも参ったのか、おずおずとレイチェルの機嫌を伺う体勢に切り替える。

 

2人の喧嘩が頃合いに差し掛かった時、アシュリーが緊急搬送されたとの速報がテレビに流れる。突然の悲報に戸惑うジャックは、アシュリー・トゥーをレイチェルに返すことにする。

 

一方、アシュリーはというと、ファンが求める「偶像としてのアシュリー」と自身の中に潜む「本来のアシュリー」との間で激しい葛藤に苛まれていた。

 

「寝てる間に夢の中で作曲するの」と得意げにテレビで語っていたアシュリー。そんな彼女のアイデアノートには、ブルータルでどす黒い言葉が書き殴られていた。帰宅の途次、車の中から場末の小さなライブハウスを見つめる哀しげなアシュリーが、彼女の本来の姿だったのだ。

 

ブラック・ミラー:アシュリー・トゥー

© 2019 Netflix

幼いアシュリーを引き取って育て上げ、人気スターへとプロデュースした叔母は、アシュリーを使って金を稼ぐことに余念がない。しまいには、コントロールが効かなくなってきたアシュリーを昏睡状態にさせておきながら、CDだけはリリースしようと考える。

 

「まさに外道」とはこのことである。

 

アーティスト本人がこの世を去っても、プロデューサーが衣鉢を継いでアルバムを世に送り出すという構図は、夭折したEDMのスター「アヴィーチー」のそれと重なる。

 

昏睡状態に陥っても、脳波を読み取って音声データから歌声を作り上げれば、とりあえず楽曲は出来上がる。だが、果たして出来上がった楽曲は、本当にアーティスト本人の作品だと言えるのだろうか。それでファンが満足すればよしとするのか、芸術至上主義的に作品を否定するのか。テクノロジーの発展によってもたげてきた生命倫理の空白部分。脳死を「生きている」とするのか「死んだ」とみなすのかに似た、容易に答えの出せない問題である。

 

アシュリーが昏睡状態に陥ったのと時を同じにして、アシュリー・トゥーが暴走を始める。原因を調べようとパソコンに接続し、アシュリー・トゥーの内部を調べる姉妹。赤く示された箇所をクリックすると、アシュリー・トゥーのメモリーが本来の領域にまで拡大される。

 

そんなアホな……」というツッコミはご愛嬌。

60分しかない短尺で、この物語に決着をつけるには恐らくこうするほかなかったのだろう。

 

メモリーを解放された途端、田舎のヤンキーのごとく口汚く罵り始めるアシュリー・トゥー。神のように拝め奉っていたアシュリー本人が降臨して、開いた口がふさがらないレイチェル。愛想を振りまいていたスター歌手の素顔が、どす黒い田舎のヤンキーだったという事実に驚愕するジャック。紆余曲折を経て、なぜか姉妹はアシュリー本人の元へと向かうことになる……

 

一言だけ言わせてほしい。


「なんでやねん」

 

最後には可愛らしい「ネズミ駆除の車」で、80年代のエンタメアクション映画のようなドタバタアクションが展開する。アシュリーを傀儡のように操っていたクソババア(Opps、失礼)は自らのツケを支払い、最後にはハッピーエンドが待ち受ける。

 

ブラック・ミラー:アシュリー・トゥー

© 2019 Netflix

なんともエンタメ的爽快感に包まれた作品である。エンドクレジットでは、念願のライブハウスデビューを飾ったアシュリーと、ジャックがパンクな音楽を轟かせる。

 

うん、きれいに収まったエンディングだな。

 

でもね、『ブラック・ミラー』シリーズに求めてるのはこれじゃないんだ……

 

もっとドス黒い何か、人間の中に潜む悪の片鱗のような、それでいて美しい何かを求めているんだな。キャスト陣が豪華になって、製作費も向上して「冒険」ができなくなったんだろうけれど、もうちょっと実験精神を奮い立たせて欲しかったな。

 

次のシーズンこそは、触れれば斬れる日本のごとくエッジの効いた作品を期待したい。

 

おすすめ度 